任意後見人のしごと

すばしこい一年に

今年は、ねずみのようにすばしこく敏捷に動く年にできればと思っていますが・・・暢気に生まれついているので、なかなか難しい目標です(-_-;)

久しぶりに、新春から海外へ行ってきました。関空では、ダウンコートはもちろん、ショートブーツも脱がされて、持ち出してはいけない物を持っていないかチェックされたのに、持ち出されるべきではないゴーンは素通りだったそうで。悪事は堂々と行った方が成功するという例ですね。

来週は、これから成年後見業務を行おうという同業者を対象に、任意後見制度の講義を行います。振り返ると、これまで11件の任意後見契約を締結しています。一種のビジネスモデル的に任意後見契約を量産している人・団体を除けば、多い方ではないかなと思うので、失敗談も含めて、経験から得たことをお話しするつもりですが、その前提として、任意後見契約に関する法律を知って、仕組みを正確に理解してもらうことを、研修の第一目標としています。

でも、実質的なところで、経験を伝えて一緒に考えてもらいたいのは、契約締結後、効力が発生するまでの「見守り期間中」の過ごし方です。我々専門職と任意後見契約を締結されるのは、頼れる親族がいない方がほとんどですから、判断能力が低下する以前でも、色々と受任者に頼りたいと思われる場面があるのです。

昨年末、見守り中の方から、精密検査の結果を医師から説明を受けるのに同行して欲しいという連絡がありました。急なお申し出ではあったのですが、時間は空いていたので、伺いました。結果は重篤なものではなく、経過観察となったので、二人でホッとしたところです。こうした関わり合いは、①依頼者に、受任者が就いていることで安心感を持ってもらえる、②受任者としてご本人の体についての情報を得られる、③病院に受任者の存在を知ってもらえる、という効用があると考えています。ただ、そのような行為について、予め日当などの取り決めをしておかないと、その後気まずいことになりかねません。

また何よりも、「病院に同行してもらえない?」と、気兼ねなく言い出してもらえる関係性を作ることも大切です。

任意後見契約は、停止条件付の契約ですが、契約締結後から、その意義を感じてもらえるものだと考えているので、そこを上手く伝えらえれる研修にできればと思っています。

幾つになっても♪

 任意後見契約を結んでいる女性と忘年会でした。

 10年以上前に、その方が有料老人ホームに入所するのをきっかけに、任意後見契約と見守り契約を締結していて、それ以来、年に4回お目にかかり続けています。そうです、判断能力の衰えは全くないので、見守り契約を遂行中なのです。

 ホームの食堂に隣接する「特別室」の大きなテーブルで二人並んで座り、特別食をいただきました。向かい合わせに座ると、耳がかなり遠くなっておられるので会話が成立しないのです。

 「先生、わたし若く見えます?」

 「はい」ちょうど年齢相応だと思うけど(失礼!)、ニコニコ笑いながらお答えします。

 「そうですか、もう92なんですけどね。そう言われたんですわ。看護婦さんに」

 「嬉しかったんですね?」

 「そら、嬉しいですわ」ニコニコ

 そっかー、わたしもそんなこと言われたら嬉しいしな。もしかしたら年を重ねた方が嬉しいかも。こんな会話を楽しめるのが、後見事務の醍醐味です。いつも心を開いて話してくださるので、この方の考え方の傾向はかなり分かっているつもりです。耳が遠くなったことで、人との意思疎通が難しくなったことを嘆いておられたので、「耳が遠いので、大きな声で、ゆっくりと、お話しいただけませんか」というカードを作ることになりました。

 ところで、今日の忘年会のお食事代は、ホームの利用料として請求されますので、わたしはご馳走になってしまいます。依頼者から、報酬以外に利益を受けるのは、本来は問題です。けれども、こうしたお食事はギリギリセーフではないかと考えています。共に食事をしながらリラックスして過ごす時間で、相互理解を深めることができるからなんですが、そのための費用だと捉えれば、依頼者負担という理屈も成り立つのではないでしょうか。但し、その理屈を逆手に取って、こちらから高級な食事を要求したりするとすればもちろん論外ですが。

 あるいは、コミュニケーションの一環として、わたしからは、お誕生日にお花を贈っているので、これがお返しという説明も可能かも知れません。

 いずれにせよ、あまりに杓子定規なことを言っても、お相手はお年寄りなのでなかなか理解はされないし、自分なりの倫理観をしっかりと持って対処すればよいと、今のところ思っています。「感情移入し過ぎてはいけない」との理由で、訪問時にお茶すら飲まない、という人もいるそうなのですが、わたしは「感情移入せんで、どないする」と思っています。ご本人の苦悩を背負いこみ過ぎて、こちらが潰れるような感情移入は止めといた方がいいですが。でも、若いと言われて嬉しい気持ちに共感するのは、食事という媒体がなくても可能かも知れないし、まだまだ考え続けましょう。

有料老人ホームにはいつ入居すべきか

 任意後見契約を結ぼうと考える方は、一般的に、身近に頼れる親族がいらっしゃらない方が多い。なので、必然的に、介護付き有料老人ホームへ入居しようと考える方が多いです。

 何人もの方の有料老人ホームライフを傍目で見て来て、これまでのわたしなりの結論は、「集団生活に入るのは、どうしてもそうしなくてはならなくなってからが一番!」というものでした。

 高齢になってからの見知らぬ人との生活は、たとえ自分のスペースが確保されているとしても結構ストレスのようですし、特に「孫(子)自慢」で話に花が咲いたりするのは、単身者にとっては辛いことのようです。また、食事に満足している人には、一人も出会ったことはありません。

 掃除が行き届かなくたって、やっぱり住み慣れた我が家が何よりのはず。独居の心細さは、集団生活で失うもの(あるいは背負込むもの)と比べれば、これまでだって耐えてきたんだから克服できることのように思われます。

 もう14年、介護付き有料老人ホームで暮らしている80歳代の女性がいます。先日、「この暮らしを選んで良かった」と仰いました。まだ十分自立して生活されていて、食事はまずいからと、イワシの煮付けとかを自分で調理して補っているし、いくつもの習いものに通っておられます。ホームに対する不満も、堂々と整理して訴えられます。とても意外な言葉を聞いた気がして、「どうしてですか」と尋ねました。

 「いずれ認知症なり、身体機能が衰えたりして、施設に世話をしてもらわなくてはならないが、世話が必要な状態になってから入居したのでは、こちらのことを十分に理解してもらうことはできない。良い世話をしてもらうには、自分のことを分かっておいてもらわなくてはならず(どんな癖のある人か、どんなことで怒るのか、などなど)、自分のことを分かってもらうには、元気なうちから入っておかなくては難しいように思う」

 答えを聞いて、深く肯いてしまいました。

 本当にそうですね。生活に支援が必要となっている人に、支援をしようとしても、その人がどのような方なのか情報がないと、手助けも「出来合い」のもので済ませるしかないように思われます。真に、その人にフィットしていると自信の持てる手助けは、その人に関する情報がなくては実施できません。

 この女性は、介護が必要になってから入居する人たちを見て、このような意見を持つようになったそうです。当然、ホームは必要な介護その他の支援をしているはずですが、何かが違うと感じるのでしょうか・・・

 ともかく、生活し難さを感じている人のサポートをする時は、必ずその人に関する情報が必要なのは確かです。そして、そのサポートは、多職種連携で行われるというのが最近の潮流だとすれば、多職種の共同チームで、その人に関する情報を共有しているはずだと思われます。もちろん、全ての情報かどうかは別で、必要な部分の線引きはあるでしょうけれど。そうした情報共有と、個人情報あるいはプライバシーの尊重が衝突するという人もいますが、わたしは、後者は無目的に拡散される場合が問題になるのであって、合目的的であれば差し支えないはず、と考えています。ただ、合目的的か否かの評価が独善的であってはならないので、第三者の存在によって客観性が護られるようにしておかなくてはならないでしょう。

 また一人、有料老人ホームへ入居される方の契約に立ち会います。この方の大きな決断が吉と出るよう、心から祈っています。

入院時の保証人

 これまで何度も経験してきたことですが、任意後見を受任している方が入院すると、必ず「保証人」問題に直面します。

 任意後見の相談は、たいてい、身近に頼れる親族がいない方です。物理的に存在しないか、存在しても精神的に「頼りたくない」「頼れない」関係か、は別にして。だからこそ、相談の初めから、何度も「施設入所や入院の時の保証人にはなれないんです」ということは、説明しています。

 もちろん、任意後見契約やそれに付随して結ぶ他の契約が、保証人に期待される役割(判断能力低下時の法律行為や、死亡時の事務)を部分的に代替してくれること、債務の連帯保証については保証金を預けるなどすることで、こちらも替えられることがほとんどであること、を併せて説明して、理解してもらいます。が、現実問題としては、その時の説明を、数年経ってもちゃんと覚えていてくれることはあまりありません。

 入院時は、それでなくても心細いもの。病院から、当然のように「保証人を立ててください」と言われているのに、「保証人にはなれないんですよ」と答えるのはかなりしんどいものがあります。そんな場面で、「前にも説明してますけど・・・」ともなかなか言えません。

 ただ、このしんどさは最初の入院の時だけです。その際に、わたしが、保証人にはならなけれど、様々な手続きを行って、色々な手配をきちんとすれば、ご本人も安心されるし、次回の入院では気づまりを感じることはありません。

 高齢になれば入院はつきものです。そして、親族がないことを実感する場面でもあります。だからこそ、この人を頼んでおいてよかった、と思ってもらえる、一つの機会でもあるのです。

観音経

 棚ボタで日本シリーズまで楽しませてもらったものの、案の定と言うか、急激な失速で良いとこなかった阪神タイガースでしたが、それはそれで見慣れた姿でホッとしたのも事実です。やはり屈折した阪神ファン心理というやつです。

 日の光の濃度が薄くて、もの悲しい気分になる季節です。今年は、長年任意後見契約を通じてお付き合いしてきた方と相次ぐお別れがあり、仕事上での関わりだったとは言え、それぞれの方の完全なプライバシーの領域に踏み込んでいたわけで、もうお会いできないことの寂しさを噛みしめたりしています。

 先日、京都の醍醐寺で読経をする機会を得ました。観音堂に「一緒にお経を読みませんか」という張り紙があって、その開始時間がもうまもなくだったので、これは良いチャンスと思い参加したのです。って、参加者はわたしと連れだけだったのですが。

 終わった後、通りがかりの女性から耳元で「つかぬ事を伺いますが、今のご祈祷はいくらお納めになったのですか」と聞かれ、「エッ!この読経に参加しただけでお金は払ってませんが」と張り紙を指さしながら答えると、「あんな立派なご祈祷してもらって、良かったですね」と驚いておられました。

 で、こちらも驚いて、慌てて志でお布施を置いてきました。何とも不調法なことです。

 そこで読んだ経本のタイトルは「観音経」だったと記憶しているのですが、どうだったのかなー。確認のために醍醐寺に電話したけど、担当者がいないそうで分かりませんでした。

 知っている人が次々と亡くなっていくと、宗教を身近に感じるようになって来ました。高齢者に写経を嗜む方が多いのも分かるような気がします。老後の趣味は、囲碁と俳句に決めていましたが、写経も良いかも知れません。

三つ子の魂・・・

 つい最近、自分自身の通知表を見る機会がありました。

 小学校時代は項目ごとに、「よくできた」「できた」「がんばろう」の三段階の絶対評価です。ボールペンのキャップのようなもので、赤い〇が付けられています。今の子はどんな通知表をもらってるんだろ?運動会の徒競走と同じで横並びだったりして?

 まぁ、そんなことはどうでもいいのですが、興味深かったのは担任の先生の自由コメント欄。低学年の時は「線が細い」とか「おだやか」とか書かれているのに、3年生くらいから「私語が多い」「勝気な面が出てきた」などと、ちょっと扱いにくい子供を思わせる記述が・・・ 特に、授業中のおしゃべりについては、高校の通知表でも注意(保護者への苦情?)されていました(^_^;)

 春に、女子3・紳士1でゴルフに行った時も、紳士から「ほんま、よう喋るな~」と呆れられてしまいましたので、口を閉じている時間が短いのは幼少の頃から続く性癖のようです。

 先日も、任意後見契約を検討してくださっているご夫婦と、これからの進め方を打ち合わせしている最中、奥様のお話を聞きながら、しょうもない茶々を度々入れてしまいました。初めてお会いしてから、もう10年近くが経っているので、つい気が緩んでしまうようで・・・ そう言えば、通知表には「冗談が好き」というコメントも三回ほど見かけましたっけ。

 で、このご夫婦とは、ずっとつかず離れずで連絡を取り合いながらも、まだ契約締結には至っていません。機が熟していない、ということと思っています。

 任意後見契約は、あくまでも委任者の自発性が重要ですから、促すことはしないと決めています。特に、ご夫婦ともにお元気なので、どちらかに判断能力の衰えが見え始めても、もうお一方が申立人になることで法定後見の利用もできる、という安心材料もありますし。

 こうやって、ある意味ダラダラと(失礼!)関係を続けられるのは、その間の相談報酬についてきちんと決めているから。本格的に検討を始めることになった時点で、こちらからお話しさせていただきました。報酬の設定方法は様々だと思いますが、こうした合理的なことを理解していただくことも、任意後見契約の利用の際には必要なことだと思っています。

巳年の終わりに

 任意後見についての原稿を書くために、先輩同業者とミーティング。どんな場合に、任意後見が役に立つのかという話になりました。

 財産の使い方や晩年の過ごし方などに、一般的な「高い質の生活」の範疇に収まらない独自の意向がある場合に、それはなかなか法定後見制度では実現しにくいので、そんな意向を持った人に任意後見は使い出がある、という話になりました。

 例えば、中小企業の経営者であり大株主である人が、自身が健在な間は会社を取り仕切って、いつか認知症になったときには、任意後見人に株主権を行使させ心に決めた後継者を代表者にすることが、任意後見契約で十分に受任者にそうした意向を伝えておけば実現できるのではというものです。

 法定後見において、どの程度、本人が事前に留めていた意思を後見人が実行できるのか、その範囲には、任意後見とどれくらい差があるのか、今はまだよく分かりませんが、その特性から考えるに任意後見の方が本人の事前の意思を尊重できる量は多くなるのでしょうか。

 巳年が終わって、疾風のように走る午年がやって来ます。今年もお世話になりました。

残暑お見舞い申し上げます

 誰と顔を合わせても、電話で話しても、もしかしたら見知らぬ人とも、「○○いですね~」と言い合ってしまいますね。先月末、独居の被後見人の自宅に慌ててエアコンを付けましたが、良かった、対処しておいて。暦の上では残暑だそうですが、あとどれくらい残っているのでしょうね???

 さて、しょうもない話ですが、わたしは極力、同業者同士で名刺交換をするのを回避したいと思っています。だって、当事務所の名刺は二色刷りだし、いい紙使ってるし、そこそこお金がかかっているんです。それを、連絡先ならすぐに調べられる同業者に渡さなくったって、と思ってしまいます。何かの会議などの初めての集まりだと、何人もとの名刺交換だけで結構な時間が潰れるのも、ちょっとナンセンスな気がしていまして・・・ 大体、その名刺をどこに保管しておけばいいのやら、という思いもあります。

 まぁちょっと偏屈な感じかも知れませんが、そんなわけで、名刺をいただくだけの場合もありまして、こんなところで言い訳をしておきます。

 もっとも、大阪以外の司法書士と会議などで一緒になったら、名刺交換をしておかないと後から誰だったか分からなくなるので、ちゃんとしています。それに不動産決済の現場など、仕事で出会った場合には、そこにいた人の記録として名刺交換は必要と思っています。

 と前置きが長くなりましたが、任意後見契約を結んでいる女性から、ガンが見つかったという知らせがありました。身寄りがないからこその、赤の他人のわたしとの任意後見契約です。認知症は全くないので契約発効にはなりませんが、契約をしていることで安心感を感じてもらえるように、ポイントポイントで支えになって行かなければと思います。既に、終末期の医療についての希望などお聞きしていますが、これを機会に再度、施設管理者と共に意向を確認する必要もあるでしょう。辛いことではありますが、それを乗り越えた方が、ご本人が夜一人で悶々とされることが多少は軽減されるのではないかと信じています。

任意後見人が体調不良で職務遂行できなくなったら

 任意後見の経験が多いと思われていて、有難いことに色々と相談を受けます。

 先日は、発効済みの任意後見人が、体調が悪くこのまま任意後見人を続けられない場合にどのような手続きをすれば良いか、という話を聞きました。どうも、話している人の事案でもないようで、実情は分かりづらかったのですが、ともかく、そんな経験あるわけないし、反対に考えるきっかけを与えてもらって勉強になります。

 恐らくオーソドックスに考えると、任意後見契約を解除することになるのでしょう。任意後見契約法第9条2項です。「本人又は任意後見人は、正当な事由がある場合に限り、家庭裁判所の許可を得て、任意後見契約を解除することができる。」と規定されています。体調不良が正当な事由になるかどうかについては、解除を認めなければ本人に不都合が生じる事態も考えられますから、十分に成り立つと思うのですが、家裁がそれを判断するのに、任意後見人の申告だけで許可を出すのか、それとも診断書程度の裏付資料を求めるものなのか、は分かりません。知りたいところです。

 しかし、解除しただけでは、本人の支援者が存在しなくなるだけです。任意後見が発効したということは何らかの支援が必要な状況にあるのでしょうから、そこを手当てする必要があるはずです。

 再度任意後見契約を締結するというのも、技術的にはあり得るでしょうが、判断能力の減退があるわけですから、わたしはこの道は行きたくありません。

 本人の能力如何で、補助あるいは保佐の申立てが可能であれば、本人申立をする道が考えられます。申立権者が近くにいれば、その人に成年後見も含めて適切な類型で申し立ててもらっても良いでしょう。

 しかし、結局は任意後見を終わらせて法定後見で支援することになる、ということであれば、任意後見契約法第10条を適用する方が手っ取り早いように思われます。任意後見人が、本人について後見開始審判の申立てをすると、「本人の利益のため特に必要があると認めるとき」は家裁は後見開始し、発効済みの任意後見契約は終了することになっています。

 もちろん法定後見を申し立てるのは任意後見人である必要はありませんが、実情を調査するには任意後見人の関与は欠かせませんから、任意後見人自身が申し立てるのが適切と考えます。

 果たして、体調不良で任意後見業務遂行が困難となっている事情が、「本人の利益のため特に必要があると認めるとき」になるのか? わたしは解除の時と同様の理由で十分なり得ると思いますが、この辺りどのように運用されているのか知りたいですね。

 もっとベターな方法や経験談などあればご一報いただけると幸いです

任意後見契約を有効に使える場面

 実際の、わたしが受任しているケースがそうなので、任意後見契約は、身寄りがないとか身近に頼れる親族がないような状況の人が、将来判断能力が衰えた時のために準備しておくというのが典型的な利用の場面、とこれまでも研修などで説明してきました。

 そのような場合には、当然亡くなった後の様々な手続きも任せられる人がいないので、「死後事務委任契約」と遺言の中で執行者に指定してもらう、ということも併せて準備すると、ご本人にとっては憂いがなくなる、というものです。

 昨日今日と、リーガルサポート大阪支部で集中研修があり、わたしは、今日の「任意後見の相談・契約および任意後見人の実務」というコマを受けたのですが、講師によれば、オーナー社長の立場にある人も任意後見契約を締結していると、いざ認知症が発症して社長の役目を果たせなくなっても、任意後見人が代理権目録に基づいて株式議決権を行使すれば、後任者を選任して、会社経営をつつがなく継続できるということで、なるほどなぁ、と思わず膝を打ってしまいました。

 もちろん法定後見を申し立てれば、成年後見人は議決権を行使できますが、その場合には、本人がどのような意向を持っていたか議決権行使に的確に反映させることはかなり困難です。

 任意後見契約を締結すると同時に、将来は経営権を誰に譲りたいのか、そうした意向を明確に残しておけば、それが任意後見人によって履践されることになるでしょう。

 任意後見の分野は、数は着実に増えているとは言え、実務の成熟度は法定後見にずいぶん水を開けられています。このように、人の経験を聞くことは本当に参考になります。