ココログの進化
久しぶりにココログにログインしてみたら、インターフェイスがまたまた変わっていました!時の流れを感じます。
文を書いて頭の中を整理する習慣をつけないと、と思って、ここへ来ました。リハビリみたいなものでしょうか・・・
今月に入って、意思決定支援に関する研修を二つ受講しました。どちらも、判断能力が不十分な方の暮らしの問題を解決しようとするドラマ仕立てのビデオを観た後、グループで意見交換をするものでした。人の経験や意見を聞くのは面白くて好きなのですが、いかんせんリモートなので、なんか隔靴掻痒でもありました。
意思決定支援とは、認知症などで、判断能力が不十分な人も、自分の人生のことは自分で決めるのが当たり前、ということを大前提にして、周囲の支援者が、本人が自分で決められるように支援するということを指します。従来は、支援者が、本人には決めることができないのだからと、代わりに決めていたことへの反省の上にたって、日本でも数年前から様々な実践ガイドラインが策定されているのです。
支援者が代わりに決める「代行決定」は、「本人には決められないから」と決めつけている点で侮辱的で、自己決定という基本的な権利を奪っている、というのはとてもよく理解できます。まずは、本人が決められるように色々と工夫して、ご本人がどのように考えているかを探求しようとするのには大賛成です。
ただ、本人の思いを実現するのが公の秩序に反することはあるよなぁ、とも思います。例えばゴミ屋敷です。近隣住民にどの程度まで迷惑をかけることになれば、本人の色々とゴミを集めてきて家に置いておきたい、という思いを退けて、支援者がゴミを処分するという代行決定が許されるのでしょうか。なぜゴミを集めてくるのか、その理由を掘り下げていけば解決方法が見つかるかも知れないけど、見つからないかも知れず。それともゴミを集めることはそもそも不健康なことなので、意思決定支援の対象にはならないのかな?基本的な概念が浸透した暁には、ベーシックな場面(在宅生活を続けるか施設に入所するかなど)にとどまらず、もっとイレギュラーな場面について整理を進めてもらえればと思ってます。
意思決定支援を行うには、決定すべき課題についての情報を提供しなくてはなりませんが、つい先日、内視鏡検査を受けるか受けないかを決定する場面で、中程度の認知症の高齢女性が病気の可能性の説明を受けたところ、しばらくして本人が病気だと思い込んでしまって気分が落ち込んだことがありました。情報提供も、判断能力が不十分な人が、こちらが想定した受け止め方をされるとは限らず、思わぬ事態に繋がってしまうのだと思い知りました。今あるガイドラインは、こうしたことにも答えてはくれません。
今はまだ、意思決定支援とはなんぞやを普及活動している段階なので、あまり些末なことを言っていちゃもんを付けるのは良くないのですが・・・