« 2020年2月 | トップページ | 2021年4月 »

2021年3月

カタルシス?

一昨日は「俺の家の話」で号泣したことでカタルシスを得られた気がします(笑) その昔、郷ひろみに「若さのカタルシス」という曲がありましたねぇ。昔も今も、意味がよく分かっているわけでもないけど、ちょっと使ってみたい言葉です。

先日、生活保護に関する研修を受けました。耐久消費財の買い替え費用は生活扶助に含まれているので、備えて貯めておかなくてはならないとの説明でした。なるほど、あまり深く考えたことがありませんでしたが、そうなんでしょう。

生活保護を受けている精神障害の女性の保佐人をしているのですが、保護費は自分のお金だから好きなように使って当然、と言って、毎月すっからかんになるまでお金を渡せと求めてこられます。保佐開始申立の動機が金銭管理ができない、なのも納得ですが、さぁここで「意思決定支援」との折り合いをどうつけたらよいのでしょう。教えて欲しいです。少しは、急な物入りのために蓄えておきたいというのは、支援者のエゴなんですかねぇ。それとも、少しの蓄えは最低限の生活環境の整備であって、そんな整備は必要ないという本人の意思は無視してもいいんでしょうかね。あるいは本人との話し合いを深めれば、最低限の生活環境の整備の必要性を本人と支援者で共有できるはずであって、その努力が足りていないのでしょうか。

たかがドラマ、されどドラマ

「俺の家の話」泣かざるを得ない・・・・

なんで寿一が死ぬの!

レジ袋

どちらかと言えば、以前から、徒にプラスチックごみを出さない行動はしていました。

コンビニでヨーグルトを買ってもスプーンは貰わない、とかです。ペットボトルのゴミもできるだけ出したくないから、マイボトルを持って行くようにはしています。もちろん、マイボトルを持っていなくて喉が渇いていたら、迷わずお茶を買うのですが。

レジ袋についても、有料化前から、ズック生地のバッグを肩に下げて買い物に行ってました。マイバッグポイントをくれるお店もありましたしね。

しかし、有料化になって、全くレジ袋を貰わなくなってしまうと、生ごみを入れる丁度いいサイズのビニール袋が無くなってしまいました!レジ袋をゴミ袋にしていた人、皆の感想だと思います。結局ゴミ袋を買うしかないので、スーパーで見てみたところ、あんなサイズのビニール袋は1枚約2.8円でした。なので、わたしは、レジ袋1枚3円であれば、レジ袋を買うことに決めたのです。

昨日も、エコバッグを持っていましたが、レジ袋小3円を購入。かごに入ってる物が多かったからか、レジ係りの女性は「小でいいですか?」と尋ねられましたが、ちゃあんとエコバッグも持っていたのでノープロブレムです。そのレジ袋はゴミ袋として買ったようなものなのです。

し・か・し、帰宅して、買ってきたものを出して、さぁ、レジ袋をごみ袋として使うまでの間、保管しておくために丁寧に畳もうとすると、袋の底がお豆腐のパックの角が犯人と思われるのですが、破れていたのです。ええっ‼それはないんじゃないの。

売り物なんだから、もうちょっとちゃんとした袋にしといてよ。というのが、本日の主張です。

 

アメトーーク!

昨夏、初めてのスマホを2代目に買い替えた際に、androidからiPhoneに変えてしまいました。ショップの若い女性の口車に乗って。

勝手に、iPhoneユーザーが多いのだと思っていたら、改めて調査したところ、周囲にはandroidユーザーだらけでした(-_-;)

で、誰に教えてもらえるわけでなく、全然使いこなせていないのですが、今日会議を終えて帰宅すると「アメトーーク!」でiPhoneの使い方レッスンをしているではないですか。助かる~。

いつも、出先で署名をした書類の控えとして写真を撮っていたのですが(コピーくださいとも言うのも手を煩わせるから憚られるし、そもそもコピー機がない環境の場合も多々)、なななんと、スキャンする機能があったんですね!便利~。元々アメトーーク!は観たい番組ではあるんですが、また、この特集を企画して欲しい。

さて、緊急事態宣言を延長するかどうか、色んな意見があるようです。感染者がゼロになる日は来ないのでしょうから、所期の目的、病床利用率が改善しているのなら一旦解除でいいのではないの?と素人としては思いますが。

重度の知的障がいの方に久しぶりに会ってきました。日頃、移動支援を「遠足」と呼んでとっても楽しみにされているのが、もう1年近く外出できていないからか、施設内で活発に動いておられるそうです。理由を承知しているわたしたちですらストレスを感じているのですから、なぜ遠足に行けないのか分からないまま、エネルギーが溜まっているだろうなぁと想像します。もちろん、外出できないことは誰に責任があるわけでもないのですが、何とかならないかと心底思います。

スイートピー

スイートピー 今は昔を口ずさむ

 

黄色いスイートピー3本で280円なり。

相場は分かりませんが、部屋にあるだけでこんなに心を明るく優しくしてくれるのだから、よい買い物です。近所の花屋で買いました。

薄衣のような柔らかな花びらは、今にも羽ばたいて行ってしまいそうです。

青春時代、「赤いスイートピー」という名曲がありました。キーが高いので、なかなかカラオケでも歌えませんけど。色々あったあの頃のこと、ほぼ全部いい思い出、ってことは、とても幸せなんだと思います。

 

ココログの進化

久しぶりにココログにログインしてみたら、インターフェイスがまたまた変わっていました!時の流れを感じます。

文を書いて頭の中を整理する習慣をつけないと、と思って、ここへ来ました。リハビリみたいなものでしょうか・・・

今月に入って、意思決定支援に関する研修を二つ受講しました。どちらも、判断能力が不十分な方の暮らしの問題を解決しようとするドラマ仕立てのビデオを観た後、グループで意見交換をするものでした。人の経験や意見を聞くのは面白くて好きなのですが、いかんせんリモートなので、なんか隔靴掻痒でもありました。

意思決定支援とは、認知症などで、判断能力が不十分な人も、自分の人生のことは自分で決めるのが当たり前、ということを大前提にして、周囲の支援者が、本人が自分で決められるように支援するということを指します。従来は、支援者が、本人には決めることができないのだからと、代わりに決めていたことへの反省の上にたって、日本でも数年前から様々な実践ガイドラインが策定されているのです。

支援者が代わりに決める「代行決定」は、「本人には決められないから」と決めつけている点で侮辱的で、自己決定という基本的な権利を奪っている、というのはとてもよく理解できます。まずは、本人が決められるように色々と工夫して、ご本人がどのように考えているかを探求しようとするのには大賛成です。

ただ、本人の思いを実現するのが公の秩序に反することはあるよなぁ、とも思います。例えばゴミ屋敷です。近隣住民にどの程度まで迷惑をかけることになれば、本人の色々とゴミを集めてきて家に置いておきたい、という思いを退けて、支援者がゴミを処分するという代行決定が許されるのでしょうか。なぜゴミを集めてくるのか、その理由を掘り下げていけば解決方法が見つかるかも知れないけど、見つからないかも知れず。それともゴミを集めることはそもそも不健康なことなので、意思決定支援の対象にはならないのかな?基本的な概念が浸透した暁には、ベーシックな場面(在宅生活を続けるか施設に入所するかなど)にとどまらず、もっとイレギュラーな場面について整理を進めてもらえればと思ってます。

意思決定支援を行うには、決定すべき課題についての情報を提供しなくてはなりませんが、つい先日、内視鏡検査を受けるか受けないかを決定する場面で、中程度の認知症の高齢女性が病気の可能性の説明を受けたところ、しばらくして本人が病気だと思い込んでしまって気分が落ち込んだことがありました。情報提供も、判断能力が不十分な人が、こちらが想定した受け止め方をされるとは限らず、思わぬ事態に繋がってしまうのだと思い知りました。今あるガイドラインは、こうしたことにも答えてはくれません。

今はまだ、意思決定支援とはなんぞやを普及活動している段階なので、あまり些末なことを言っていちゃもんを付けるのは良くないのですが・・・

« 2020年2月 | トップページ | 2021年4月 »