« 師走、再び | トップページ | 冬の公園 »

後見人と火葬

 後見業務好きの司法書士の勉強会の忘年会でのこと(長ったらしい?)。

 一人の先輩が、最近ご本人が亡くなることが続いたそうで、それもご親族がおられず、成り行きで(事務管理として)火葬まで行った時に、出棺からお骨上げまでの時間、大抵2時間くらいでしょうか、葬儀業者と話しこんだそうなのです。後見人が葬儀を手配するケースを多く経験している業者さんだったそうで、司法書士の実名入りで色々と語られたとか。そこで、手配だけはするが葬儀に参列することがない後見人もいれば、いつも来てくれる後見人もいて、「人によって違うんですね」と意外そうに言っていたという話題になりました。

 成年後見制度は、判断能力が不十分な人の権利を擁護するための仕組みですから、その人が生きている間に効果があります。亡くなってしまったら、権利自体が相続人に承継されることになるわけです。けれど、現実には、ご遺体の引取・火葬や、最後の入院費の支払いなど、死亡直後に誰かが対処しなくてはならないことを、相続人が現れるまで待っているわけにはいかず、元後見人が行うことが容認されています。

 そのような立場で、謂わばやむを得ず火葬の手配をする元後見人が、さて斎場に駆け付けるべきかと言えば、当然そうは言えないでしょう。電話一本で手配し、後日の支払いだけをするからと言って(葬儀会社さんがそれで構わないのであれば)、非難されることはないと思います。わたしもこれまで、出棺は立ち会うけれど、骨上げは斎場にお任せしたことがあります。

 けれど、後見人として生前に関わってきた以上、火葬まで見届けるのが人の道という考えもありました。確かに心情的に、これまでこちらを頼ってくれていた方が、誰にも見送られずに骨になってしまうのは忍びなく思います。そういう意味で、いつも火葬は手配だけであとは業者に任せっきり、という司法書士は、それ自体は職務怠慢ではないけれど、存命中の後見事務そのものにどの程度ご本人への配慮がなされているのだろう、という気もします。

 人によって「最善の後見事務」に差がある以上、死後の関わり方が異なるのは至極当然なのでしょうね。

« 師走、再び | トップページ | 冬の公園 »