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観音経

 棚ボタで日本シリーズまで楽しませてもらったものの、案の定と言うか、急激な失速で良いとこなかった阪神タイガースでしたが、それはそれで見慣れた姿でホッとしたのも事実です。やはり屈折した阪神ファン心理というやつです。

 日の光の濃度が薄くて、もの悲しい気分になる季節です。今年は、長年任意後見契約を通じてお付き合いしてきた方と相次ぐお別れがあり、仕事上での関わりだったとは言え、それぞれの方の完全なプライバシーの領域に踏み込んでいたわけで、もうお会いできないことの寂しさを噛みしめたりしています。

 先日、京都の醍醐寺で読経をする機会を得ました。観音堂に「一緒にお経を読みませんか」という張り紙があって、その開始時間がもうまもなくだったので、これは良いチャンスと思い参加したのです。って、参加者はわたしと連れだけだったのですが。

 終わった後、通りがかりの女性から耳元で「つかぬ事を伺いますが、今のご祈祷はいくらお納めになったのですか」と聞かれ、「エッ!この読経に参加しただけでお金は払ってませんが」と張り紙を指さしながら答えると、「あんな立派なご祈祷してもらって、良かったですね」と驚いておられました。

 で、こちらも驚いて、慌てて志でお布施を置いてきました。何とも不調法なことです。

 そこで読んだ経本のタイトルは「観音経」だったと記憶しているのですが、どうだったのかなー。確認のために醍醐寺に電話したけど、担当者がいないそうで分かりませんでした。

 知っている人が次々と亡くなっていくと、宗教を身近に感じるようになって来ました。高齢者に写経を嗜む方が多いのも分かるような気がします。老後の趣味は、囲碁と俳句に決めていましたが、写経も良いかも知れません。

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