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自分で作る物語

 「作話」という言葉があります。

 以前は知らない言葉でしたが、認知症の方にしばしば見られる障害だそうで、一見辻褄の合う虚構を、本人は嘘をつくつもりは全くなくお話になります。

 完全に縁が切られた状態の兄弟のことを、自分を気遣ってくれる存在として話されるとき、それはご本人の願望なのだろうと思うと切ない気持ちにもなりますが、被害妄想などを持たれるよりも、幸せを感じておられるならそれで良いのだろうとも思います。

 結婚したことはないのに、「主人が亡くなったやろ。家帰ったら一人で寂しいわ」と仰いますが、昨年死んだのは飼い犬のはずだったり、相づちの打ち方も困ります。

 寝言に相づちを打ってはいけないなどと言いますが、認知症の人には、何度も同じ話を繰り返されても「前にも聞きましたよ」などと言わずに耳を傾けることが大切と説かれますので、同じように物語をそのまま信じた振りをすることで正解なのだろうと思っています。

 けれども、認知症の人が周りの誰かのことを悪く言うこともあります。それについては、うっかり真に受けてしまうと周囲に混乱を招きますので、慎重な聞き分けが必要です。真実が含まれているのか、全くのデタラメなのか。

 できれば、罪のない物語を作りたいものですが・・・

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