侍ジャパンお疲れ様
先月初めにノロウィルスで吐き下し、しばらくは食欲もなくって頬が削げ気味だったのに、油断も隙もありゃしない!食べ癖が復活して、空腹が我慢できない堪え性なしになってしまいました。おかげで、顔もからだも湾曲してます。洋服を総入れ替えする財力はないんだから、ここで何とか踏みとどまらなければ。と、公然に自戒自戒
先日も書いた後見監督人の「監督責任」。市民後見人の登用が広がれば、その監督もしっかりしなければ、との戒めの声をよく聞きます。
もちろん、その通りです。
でもでも、そんなに市民後見人のことを不安に思わなくても、と思うところもあります。
親族後見人は、ただ親族であるというだけで後見人に選任されることがほとんどです。特別に、成年後見人の実務のための学習を事前に終了しているわけではありません。
市民後見人は、選任される前に数十時間の研修を、それも系統だって受講します。一度聞いたからって習得できるわけでもないでしょうが、特に成年後見制度について基本的な考え方を知っていることはとても重要なことのはずです。
また、親族後見人は、本人の財産と自分の財産との境界が曖昧になる土壌があります。そもそも同じ家計だったとか、いずれは相続によって自分の財産となるのだからとか、「他人のお金に手を付ける」という意識は希薄になりがちとも言えます。
一方、市民後見人の場合には「他人のお金」であることは明白であり、そうした点で厳格性・潔癖性が求められることは、養成講座の中でも繰り返して徹底されています。
ですから親族後見人と市民後見人を同列に解するのは妥当ではないな、と思っています。市民後見人が選任されるにあたって、その支援機関がしっかりと構築されていなくてはならないのは、市民後見人を監視することが目的なのではなく、一生懸命事務をしながらもそれが誤ってしまって結果的に本人に損害を与えるのを防止することと、市民後見人自身の活動上の不安な思いを解消することにあるのだと思います。
もちろんそうした機能は、親族後見人にも、そして我々専門職後見人にも必要なわけですが。
さて、侍ジャパンは残念でしたが、いいシーンもいくつもありましたね。初戦でスポーツバーというものを初めて体験し、なかなか楽しかったです。知らぬ者同士言葉を交わしたりして。明日以降のことを考えれば、鳥谷さすが!能見ドンマイ!という感じでしょうか。