・・・前稿のつづき、はまた今度
久しぶりに朝7時台新大阪発の新幹線に乗って驚きました。車両はまるで夜行列車。9割方の乗客がぐっすりと寝入っていました。かくいうわたしも、一寝入りから目覚めてトイレに立った時に気づいたのですが。
師走に入って、そろそろ忘年会も始まって、みんな寝不足なのでしょうか。座席が「B」まで埋まっていて、移動する人の数も多いように思われました。こういう生活って、どうなのでしょう?多忙なことは誇れること?この社会では、そういう尺度が間違いなくあると思うし、自分でもスケジュールに余裕があると変な不安を感じるのも事実。でもなぁ、こんな窮屈な座席で睡眠不足を補うなんて、ストレス貯まらないはずがないし、それが暴発しないようにするには、鈍感になるしかないように思えます・・・
愚痴を言いながらも、新幹線内での過ごし方にも慣れてきました。iPodは必需品です。自分の外側がかなり気にならなくなります。たまにみかんを一個、とかカバンに入れていくこともあります。でも食べ忘れて持って帰ってきたことも 座るなら、AかC。Bが埋まるのは最後だから、隣に人が来ない確率が高いからです。もちろん、グリーン車でのことではありませんよ。
さて、転院先を探していたケースは無事落ち着くことができました。病院のケースワーカーも、当初はいつでも連絡がつくわけではないわたしに戸惑っていたようですが、じきに家族と違って日程調整が必要なことを理解してくれて、助かりました。今は、転院先でご本人が心安らかに療養してくれることを願うばかりです。
病むこと、老いること、逝くことは誰にも避けることはできないけれど、それが苦痛ばかりでなく、少しでも受け容れやすくなればと思います。近くにいる者としてそう努めたい、後見人の責務というより人間としての感情だとも思いますが、一つ一つの手配は小さなことも含めて身上監護と言えるのかも知れません。
ところで、裁判員候補者名簿についての考えは、ある程度まとまってはいるのですが、上手く伝わるように書く自信がなくって先延ばしにしました。どのような場合であれば「この人には成年後見または保佐が開始しています」と情報提供することが許容されるのか、ということになりますね。