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2012年12月

ウルトラセブン

 なぜかテレビでウルトラセブンをやっていました 子どもの頃のお気に入りでしたが、まぁなんと怖くない怪獣たちなのでしょう。グロテスクではありましたが、どこか愛嬌が感じられました。あの頃の制作者の良心なのでしょうかね。あまりに変なものを子どもには見せられないって。モロボシダンからウルトラセブンの変身シーンは、タメがなくって淡白そのもの。ハラハラではなく、ホンワカした気持ちで見入りました。母が、モロボシダンを好きだったことを思い出し、今時のお母さんたちがイケメン仮面ライダーのファンになるのと同じだったのかなぁ、と少し複雑な気持ちです。

 年も押し詰まってから、法務局から恐怖の電話がありました。法律の解釈について疑問がある、と・・・ puっちゃんと二人まんじりともせず、は大げさですが、落ち着かない思いで結論を待っていました。おかげで忘年会のご馳走も存分に堪能できたかどうか。でも、御用納めの午後、わたし達の考えが受け入れられたとの知らせがありました。

 ホッ

 おかげで心安らかに年が越せそうです。司法書士とは、哀れな存在です。もっと自信持てばいいやん、というご批判もあるかも知れませんが、19年やっていてもなかなかその図太さは身に付きません。

 さて、今年もお世話になりました。未だにあちこちに頭をぶつけながら、毎日を送っていますが、ついに来年は「知命」。もう少しどっしり構えて、泰然と、少しは若い人たちに有益な言葉でも語りたいものです。

最高気温6℃

 こんな日って誰にでもありますよね。なぜか、へんてこりんなコーディネートで外出してしまうことって。今日のわたしが、まさにそれ 何年もはいていなかったビビッドなオレンジ色のコーデュロイパンツに、渋柿色のダッフル風コート、紅色のエナメルバッグ。髪の毛がハネハネなのを直すのが面倒で、山用のネパール製毛糸の帽子を着用しました。何を思ってこんな組み合わせをしたのでしょう???ショーウィンドウに映った己の姿に苦笑するしかありませんでしたが、今さらどうすることもできないし、そのまま目的地へ向かいました。

 それしか服がなかったならそれはしょうがないことですが、他にも選択肢はあったのになぁ・・・ 途中、馴染みの鮨屋の大将に会いましたが、挨拶もそこそこに逃げ去りました。

 まぁ、クリスマスイブでもあることだし、全身赤っぽいのも許されますか。今日は極寒。暖かければそれでよし、ですよね。

 年末年始は、自宅で一人暮らしの方の生活の心配をしなくてはなりませんが、意外に大みそか・三が日ともサービス提供してくれる事業所が多くて助かります。以前は、お正月には来てもらえなくてしょうがない、という印象でしたが、何か状況が変わったのでしょうか?それともたまたま接している事業所がそうだったということなのでしょうか。

 ヘルパーの方々もそれぞれに家庭生活があるでしょうから、大変だな、と思いますが、改めて世間を見渡してみると、盆も正月もなくサービス提供をしておられる職業は、鉄道やら病院やら、もちろん老人ホームも、多いものですね。有難いことです。

 わたしも大学生の時、コンビニエンスストアーでバイトをしていて、元旦に2時間ほどレジに立った思い出があります。祝箸を小走りで買いに来た人がいて、「開いてて良かったですね」と思ったものです。30年近く前の話。

・・・前稿のつづき、はまた今度

 久しぶりに朝7時台新大阪発の新幹線に乗って驚きました。車両はまるで夜行列車。9割方の乗客がぐっすりと寝入っていました。かくいうわたしも、一寝入りから目覚めてトイレに立った時に気づいたのですが。

 師走に入って、そろそろ忘年会も始まって、みんな寝不足なのでしょうか。座席が「B」まで埋まっていて、移動する人の数も多いように思われました。こういう生活って、どうなのでしょう?多忙なことは誇れること?この社会では、そういう尺度が間違いなくあると思うし、自分でもスケジュールに余裕があると変な不安を感じるのも事実。でもなぁ、こんな窮屈な座席で睡眠不足を補うなんて、ストレス貯まらないはずがないし、それが暴発しないようにするには、鈍感になるしかないように思えます・・・

 愚痴を言いながらも、新幹線内での過ごし方にも慣れてきました。iPodは必需品です。自分の外側がかなり気にならなくなります。たまにみかんを一個、とかカバンに入れていくこともあります。でも食べ忘れて持って帰ってきたことも 座るなら、AかC。Bが埋まるのは最後だから、隣に人が来ない確率が高いからです。もちろん、グリーン車でのことではありませんよ。

 さて、転院先を探していたケースは無事落ち着くことができました。病院のケースワーカーも、当初はいつでも連絡がつくわけではないわたしに戸惑っていたようですが、じきに家族と違って日程調整が必要なことを理解してくれて、助かりました。今は、転院先でご本人が心安らかに療養してくれることを願うばかりです。

 病むこと、老いること、逝くことは誰にも避けることはできないけれど、それが苦痛ばかりでなく、少しでも受け容れやすくなればと思います。近くにいる者としてそう努めたい、後見人の責務というより人間としての感情だとも思いますが、一つ一つの手配は小さなことも含めて身上監護と言えるのかも知れません。

 ところで、裁判員候補者名簿についての考えは、ある程度まとまってはいるのですが、上手く伝わるように書く自信がなくって先延ばしにしました。どのような場合であれば「この人には成年後見または保佐が開始しています」と情報提供することが許容されるのか、ということになりますね。

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