困ったときはお互い様
先週は春らしい日差しもありました。もうすぐですね、きっと。なぜ冬が去るのがこんなに嬉しいのでしょう。冬は損な役回りですね。
認知症のせいなのか、ご近所のお宅に時間を構わず電話をするので、迷惑がられている独居高齢者の話を聞きました。その対策のために、夜間は電話線を外すという提案がされていたので、何の権限もないのだけれど異議を唱えてしまいました。
そんな荒っぽいやり方をする前に、何が原因で電話を掛けてしまうのか?とか、もっとできることを検討したのだろうか?と、疑問に思います。
ご近所の方の困惑はもちろん分かります。家族に対して「何とかしてくださいよ」と、わたしだって言ってしまうと思います。でも、ご本人を支援する立場の人間が、簡単にご本人の安全や安心を犠牲にしてしまうのはいかがなものでしょうか?その場の思いつきでしたが、ご近所のお宅に本人負担でナンバーディスプレイ対応の電話機を導入して、ご本人からの電話を拒否してもらったら?と提案してみました。
まぁ、それが最善策とは言えないでしょうし、夜間に不安の電話をしなくて済むように創意工夫を尽くしてみるべきだと思います。電話線を外してしまったら、掛けても通じないから、もっと不穏になってしまうかも知れません。外から掛けても通じなくて、本人の安否確認もできません。
他人の認知症状をどこまで受容するか、難しい問題です。地域の懐の深さがなければ、この方は在宅を続けることはできないでしょう。成年後見人が付いたところでそれは同じだけれど、成年後見人が本人の代わりに地域に対して協力をお願いするという役割は担えると思います。困ったときはお互い様、持ちつ持たれつ、はどの程度まで受け入れられるものなのでしょうか。わたしなら、皆さんなら、どこまで受容できるのでしょうか?自分が試されます。