公正な学校教育とは何か?
教育委員会の要否について、識者が論じています。その構成など知らなかったことが多い。この世の成り立ちについて、知らないことは本当に多い。物知らずのわたしが悪いのか?知らせないこの世が悪いのか?まぁ、それなりに能力もあるのですから、教えてくれないのが悪い~、と言うのは情けないのでしょうね。
さて、わたしは高槻市立第六中学校の卒業生です。昭和54年に卒業しました。当時は、知る人ぞ知る、悪名高い中学校です。地元集中運動が盛んで、大方の教師がそれに賛同し、わたしたち生徒に影響力を及ぼしていました。地元集中運動とは何か?と言いますと、高校を受験する際には、学区には関わらず(大阪府下は10以上の学区に分けられており、その範囲内の府立高校から自分で選択して受験することになっていました)、先生から「地元」と定められた高校を受験しようという運動です。目的は、高校の学校間格差の解消だったと記憶しています。学力で志望校を決めると、倍率が1を切ってしまう不人気学校ができてしまう。そうすると、行政は府立高校は足りているという言い訳ができて、府立高校を増やさず、その結果、授業料の高い私立高校に行かざるを得ない生徒が生まれてしまう。こういう理屈でした。多分。間違っているという当時の教師がいれば、直接わたしに連絡してもらいたいです。
わたしはまぁまぁ勉強のできる生徒でした。第二学区で一番の進学校と言われる茨木高校を受験したいと考えていました。学活の時間、生徒は皆、どこの高校を受けるつもりなのか意思表明しなくてはなりませんでした。もしかしたら私学専願の生徒は除かれていたのかな?ともかくわたしは意思表明をし、予め予測されたとおり、他の生徒から、そして教師から、それは間違いだと、考え直すべきと、意見されました。ちなみに学活は一度や二度のことではありません。何度も、中学三年生が、放課後19時や20時まで学校に残って、学級活動を行うのです。今から思えば異常以外の何物でもありません。短絡ですが、わたしは組織化された教師が大嫌いです。
結局、公立高校の願書を出す三日ほど前に、「地元高校」と定められた我が母校島本高校を受験することに方向転換しました。我が家では、両親がまるで進学校にこだわっていなかったし、学活と教師の異常さに呆れてはいましたが、茨木高校に落ちると私学に行かないといけなくなっちゃってお金が掛かりますしね。圧力に屈するのは嫌だったけど、地元に行く友達も多いし、まぁ15歳なりに揺れ動いたわけです。島本に入学してから担任に「入試の結果と、内申書の評価が全然違うけどどうして?」と聞かれて、かねて地元以外を受験すると内申書を下げられると噂されていたけど本当だったんだな、と実感しました。教師がそんなことしていいのでしょうかね。わたしに権力者に対する不信感を植え付けた罪は重いで、と思っています。数年後輩が内申書開示請求の裁判をしていました。許せない思いを社会的正当手段に訴えたのですね。今でも、同時代の大人同士で、地元集中運動その他、教師達の横暴さで話に花が咲くことがあります。
子供ながらに、自分の人生の舵取りについて真剣に向き合う機会を作ってくれたことを、公正さとは程遠いあの教師達に感謝すべきなのでしょうか。まさに反面教師です。彼らはそれを誇りに思ってるでしょうか?対峙したいものです。