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2011年12月

小銭貯金

 小銭入れを使っていないので、財布が「ブタ」にならないように、小銭はこまめに出して貯めています。一年間貯めて銀行で入金するのですが、去年は10万円に少し届かない額がありました 500円玉は必ず財布から出すようにしているので、結構な額になります。わたしのささやかなボーナスです。

 今年もそろそろ銀行に持っていく時期が来ました。入金するとき数えていなくても「あるだけ」と言って、預入伝票の金額は白紙で入金できるとご存知ですか?昨年、同じようなことをしている同業者先輩に教えてもらいました。それまでは、ATMで何度も繰り返し入金していたのです

 さてさて、今年はいくらになることやら?いつもそこからわずかながら国境なき医師団へ送金していますが、今年は三陸海岸のカキ再生プロジェクトにしようかな、と思っています。

http://www.sanriku-oysters.com/owner.html

湯たんぽのある夜

 わたしの記事には子供の頃のエピソードが多いです。自身が親になっていないので子供時代をまだ生きているのかも知れない、と思ったりします。人から指摘されたわけではないけれど。

 で、子供時代の話なのですが、昔から「超」が付く冷え性で、コタツに入っていても足が冷たい、と、母からよく嘆かれたものでした。しもやけで足の小指がパンパンに膨れ上がって、針で刺して黒い血を出したこともありました。

 今年、昔の水枕のような湯たんぽを、ちょっと早いクリスマスプレゼントに頂きました。熱湯からちょっと冷めたお湯を入れると朝までぬくぬくです。ふわふわの毛の衣を着ているので足触りは優しいし、ベッドに入る少し前に布団の下に入れておくと床に着いたら即寝できます。足が冷たいとなかなか寝られませんからねー。

 湯たんぽと過ごす夜。幸せです。

 中のお湯は朝、顔を洗うのに再利用です

注射嫌い

 注射が嫌いで打たれるとその腹いせに、痛みが消えたはずなのにしつこく泣き続ける面倒くさい子供だったそうです、わたしは。

 被後見人のうちにも、注射となると気持ちがとても乱れる方がいます。血液検査が必要なのだけれど、事前に説明すると当然その日の受診はパス。ですから予告無しの不意打ちになっても、それは許容範囲になるように思っています。どうでしょうか?

 ただ、ご本人が注射を目の前にして拒絶されれば、やはりこれは注射できないと思います。

 難しい問題です。でも立ち位置はパターナリズムの放棄なのだと思います。客観的にご本人に有益でも、強要はしてはいけないのだと思います。どのように行動しても迷いが生じますけれど・・・何か新しい理論が生まれないかしら?

「こんなにお得な公務員生活」

 今夜も四谷のホテルでテレビを見ています。久しぶりに「TVタックル」にチャンネルを合わせたら、古賀さんが表題の解説をしています。

 腹立たしいので直視しないようにしたいのですが、これが本当なら、この世は公務員と非公務員の二種類に分けることになりそうです。地方公務員の中には、一緒にするな!という方もいらっしゃるかも知れませんが・・・

 たけしが「これを子供の頃に習っておいて、公務員になれば良かった」と皮肉っていましたが、当事者にとってはどこ吹く風かな?低俗な番組だと思ってるんですって。

 自分で選んだ道ですが、サラリーマンから自営業者になって、予想される年金はわずかで、老後の備えの自助努力も限界がある中、年金システムの中で妙に優遇されている人たちに対して、羨望を超えた苛立ちを禁じえないですねー

市民とは?

 今日は東京で開催されたシンポジウムに参加しました。市民後見人をテーマにしていたからです。その中で、進行役の方が「市民後見人の市民とは、○○市民という意味ではなく、citizenですよね」と指摘され、あっそうか、これまではっきり認識していなかった、と気づかされました。

 国家を構成する市民がこれからどんどん増える後見人の一翼を担うということなのです。ある意味自然の流れのように思われます。

 ホテルで、震災で家族を失った子供たちのドキュメンタリー番組を見ています。泣き過ぎて明日の目の下が心配です。レベルは格段に違いますが、幼稚園の頃、母が入院して弟と二人で母の実家に半年ほど預けられました。毎晩「ママが死んだらどうしよう」と思いを巡らせて寝つきの悪い子供でした。画面の子供たちの気持ちが少し想像できる気がしました。

 震災の残した傷跡が消えはしないでしょうから、一人で背負い込まないで、と切に願い、しんどさを皆で分かち合う社会を作りたいものです。

セールス電話の撃退法

 夕方の御堂筋線、背中で聞いた大阪のおばちゃんの会話にニンマリ 

 「電気代が6000円以上のお宅はこの機械付けたら節電になります」って電話のセールスが言うから、「うちは真夏でもクーラー付けんと、2000円ですねん」って言うたってん。

 申し込んだら電話代が安くなる、って言われて、「言うてる意味が分かりません」って言うたってん。

 と撃退ワザの競い合い。一人ほくそ笑んでいると、「あれっ!次、淀屋橋やわ、反対に乗ってもうた!」とそそくさと降りていくというオチまで付いて、陽気なおばちゃん達に万歳です。

 っていうか、わたしも、最近よく行く東京では「大阪のおばちゃんってひょうきん」と思われているのかも。

「おまえさん」読了

 他にも何だかんだやることあるのに、娯楽本は読み始めたら最後ですから、締め切りが先のことはおっぽって「おまえさん」下巻も読み終わりました。

 ところどころ宮部節が効き過ぎているように感じる箇所もありましたが、気を逸らさずに読ませるところはさすがです。一つの事件が終わるまでに、短編を混じえて小さな事件も起こりながら、登場人物の人となりを描き込んでありました。ハリーポッターと同様に、読んだ人には「誰が好き?」と尋ねたくなる気持ちです。

 あー、しかしわたしは誰だろ?自分がなれたらなと憧れるのは平四郎だけど、好きになるなら政五郎親分あたりか?

 これで心おきなく正月までのアフターファイブは、忘年会をこなしつつも、「あれ」と「アレ」に打ち込みます。

報酬の研修

 小雨降る土曜日の午後、研修に出向きました。「司法書士報酬と独占禁止法」という題目だったのですが、後半にパネルディスカッションがあるということだったので同業者がどんなこと考えているのか知りたくて、というのも報酬を決めることは頭痛の種の一つですし、顔を出してみたというわけです。

 かつては「報酬規定」として強制力があり、その後目安としての「報酬基準」と姿を変えはしたものの、我々の報酬は一定の範囲内に納まることになっていました。しかし今は「報酬基準」も撤廃され、報酬は完全自由化となりました。

 昨日の話では、報酬基準があった方が良いという意見が同業者には多いようです。その方が報酬を決めるときに悩まずに済む、とか、依頼者に説明がしやすい、という理由のほかに、自由競争の名の下一部で激しいダンピングが行われていて報酬そのものが値崩れし、業界の衰退につながりかねない、ということもあるようでした。

 わたしは値下げ競争に参加しないと決めているし、安いのが一番!という依頼者はその方針で依頼先を探せば良いのだと思っています。昨日の研修でも「不当廉売」というのは私たちのように「仕入れ」がない業種ではなかなか認定されないような説明でしたし、他の同業者の報酬が安いことのみをもって責めることはできないように思います。それよりも、安売りすることは良くない、結局十分な専門サービスを提供できなくなる、と考えるのなら、しんどくっても自分が安売りしないことを貫くことだと思うのです。

 パネリストの一人が、「我々自身が仕事に誇りとプライドを持つことが重要」というようなことを発言していて共感を覚えました。武士は食わねど高楊枝、と強がることも大切だと思います。もちろん、背に腹はかえられませんが。

 依頼者としては低価格が望ましいことに異論はありません。けれど、適正価格を支払わなければ適正なサービスを受けられないのも、また真実だと思っています。私たちが提供するようなサービスは「経験財」であり「信用財」なのだそうです。購入してみなければその質は分からないし、購入後もその質は分からない、ということだそうで、これを教えてもらったのが昨日の一番の収穫でした。同じ職能でも仕事の品質に差はあるのですから、他所の同業者と価格が違っても堂々としておけば良いのです。

 パネルディスカッションの結論がそんな感じだったら良かったのにな、と感想を持ちました。

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