自己決定の尊重の難しさ
先週のことですが、とある大学へ「高齢社会における認知症のターミナルを考える」というシンポジウムの聴講に行きました。
最も印象に残ったのが、主宰者の大学教授の個人的体験のエピソードでした。認知症の義母が入所する施設でインフルエンザの予防接種の時期が来て、事前に本人に尋ねた時には同意していたのに、いざ注射をする日にとても嫌がってしまって、色々手を尽くしたけれど気持ちが落ち着かず、やむを得ないと判断して腕を押えて注射をしてもらったが、今もその時のことを考えるとそれで良かったのか?と自問してしまう、と声を詰まらせておられました。
もしも予防接種を諦めていたら、インフルエンザのシーズンが無事に過ぎるまでヤキモキを抱えていたかも知れません。ましてや罹ってしまったら、なぜ注射を受けさせなかったかと思ってしまうでしょう。
一言で自己決定の尊重と言うけれど、現実には本人の安全とを天秤にかけねばならず、その選択は難しいのです。さして影響のないこと、取り返しの付くことなら本人が口にする希望通りでも良いかもしれませんが、健康・医療に関することはそうではないのです。
また、注射を目の前にして嫌がることは、認知症の方にとっては自己決定とまでは言えないでしょう。だけど、それを無視するのは非常に難しいことなのです。
先の主宰者は、ご本人の意向に反して予防接種を決行したことで傷ついておられました。そのことが痛いほど会場に伝わって来ました。共感した参加者は多かったことと思います。成年後見人として類似の立場に立つこともあり、わたしもその一人です。