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2010年5月

遺言執行者の本人確認

 一昨日の記事で「続きは明日」として締めくくったのに、昨日は思いがけず多忙で、記事を書く間がありませんでした。

 さて、清算型の遺言で、執行者が不動産を換価する際の登記申請の問題でした。まず、①法定相続人名義に相続登記をして、次に②執行者が買主への所有権移転登記をするのですが、②の登記申請に添付できる登記識別情報がない!ために、売主側の本人確認をしなくてはならない!けれども、名義人である法定相続人全員を本人確認するのか、遺言執行者を本人確認をすれば足りるのか?という問題です。

 わたしは遺言執行者でよい、と考えたのですが、少数派でした。その時に、理由として思いついたのは、民法第1015条「遺言執行者は、相続人の代理人とみなす」でしたが、今一つ説得力に欠けていたようです。遺言に基づき(必ずしも遺言で指定されたとは限らないけれど)執行者に就任しているので法定代理人ではないから、というのが反論でした。

 しかし、1012条、1013条を持ち出せばどうでしょう?要するに、その不動産の処分権限は執行者に帰属するのです。不動産名義が相続人であれ実体的権限は執行者にある、そして、不動産登記もそれを前提として、登記義務者としての印鑑証明書は現に執行者のものを求めているではありませんか。

 登記義務者の印鑑証明書は執行者のものだが、本人確認は名義人たる相続人。ってそんな整合性のないことはないと思うのです。

 また、このようなケースで法定相続人全員が気持ちよく不動産登記に協力するとは考えにくく、もしもわたしの考え方が通用しないのであれば、「不動産を換価して遺贈」という遺言は事実上できなくなってしまい、その影響は『登記村』だけに止まらず、遺言の持つチカラにまで及んでしまうことになります。

 そもそもこの問題の発端は、登記識別情報、人呼んで「TSJ」のせいかと、、、何かと使い勝手悪いです

講師の恥はかき捨て

 同業先輩らと、以下のような論点で盛り上がりました。

 いわゆる清算型遺言で「不動産を売却し、その売却代金からなんやらかんやらを弁済して、残った金額をどこどこへ遺贈する」などとしている場合、大抵執行者を指定するでしょうし、指定していなければ家裁へ執行者選任申立をすれば選任されるでしょう。

 で、その際の不動産の登記手続きなのですが、次のような順序で行う(行える)ということは先例になっています。

 ①遺言執行者が申請人となり、遺言者の法定相続人名義で法定相続の登記をする。②遺言執行者が売主(義務者)となって、買主(権利者)と共に売買の登記をする。

 この二段構えの登記で、遺言執行者が不動産を売却し、遺言内容の実現を図るわけです。

 ところで新不動産登記法が施行され、ご存知の方も多いと思いますが、昔の権利証はいずれ姿を消す運命です。代わりに登場したのが、登記識別情報という12桁の暗証番号で、従前の権利証のような存在として法務局から交付されます。

 上の①の登記をした場合には、登記名義人となる法定相続人自身が登記申請をしたのではなく、執行者が申請人なので、その登記識別情報は与えられないそうです。実は、従前の権利証であれば交付されていたのですが、それが新ルールだとのこと。

 冬の高松で遺言執行の講師をした際、この点について質問が出たので、私見だが登記識別情報は発行されるのではないか?と答えてしまっていました。申し訳ありません。きっと会場の皆さんは、頭に「」が浮かんでいたかもしれませんが、武士の情で不問に付して下さいました。

 そして、昨日の論点は、次の②の登記についてです。①で権利証の代わりとなる登記識別情報が発行されないので、②では義務者の本人確認情報(旧の保証書)を作成しなくてはならないのですが、誰の本人確認をするのか?遺言執行者で良いのか?名義人である法定相続人全員か?という疑問です。

 わたしは、全面的に遺言執行者派なのですが、反対者の方が多かったのです。なぜ遺言執行者でよいと考えるのか?昨日も寝る直前まで頭を悩ませていたのですが、それについてはまた明日。これから老人ホームへ行かなくてはなりません。

言葉に詰まる理由・・・

 昨日からまた事業仕分けが行われていますが、ネット上で生中継されています。テリー同業者から紹介されて、ちょっと覗き見してみたら、あまりに面白くて止められなくなってしまいました。

 穏やかなプレゼンとは違って、問題点を明らかにしようとするサイドと、問題点はないことにしたいサイドとの攻防を丸ごと見るなんて機会は滅多にありませんから。裁判の傍聴はここまで丁々発止ではありませんものね。国会ももっと回りくどい気がしますし。

 けれど、時々説明者である官僚や法人担当者が言葉に詰まる場面があります。そりゃ苦しいですよねと同情を禁じえません。質問者の指摘が合理的なので、その合理性を理解する知性があれば、強弁をすることはできずに押し黙るしかないのでしょう。潔く謝るってオプションはないのでしょうか?池田市の倉田市長は「反省の余地あり」と話しています。

 しかし、結構図太い答弁する人もいますヨ

 テリー同業者は、もっと高額納税者が観られる時間帯にやればいいのに、と提唱されていました。納税額が多い人ほど、税金の使われ道に関心を持って、声を上げるべきだ!と。確かに。わたしなんか、納税額を大きく上回る恩恵を行政から受けていますから。

 それにしても宝くじって購入者に分配されるのは半分以下なんですね。庶民からお金集めて、天下り資金に使われてると思うと、とてもじゃないけど買う気にはならないですねー。

エサをやるなら家で飼って。

 10年ほど前のことか、父から事務所に手書きの文章がファクスされて来ました。

 「ネコにえさをやらないで。やるなら自分の家で飼って。」という文で、きれいにワープロで打ってA4にプリントアウトして持って来てくれ、ということでした。近所に餌をやる人がいるためにネコが集まって来て困る、と怒り気味で、エサを置く定位置があるのでそこにその紙を貼るというのです。

 将棋の元名人の野良猫餌付け裁判のニュースを見て、そんな出来事を懐かしく思い出しました。

 張り紙が効を奏したのか父に確認した記憶はないのですが、その後何も言わなかったと思うので、結構効き目があったのかもしれません。

 そもそもは、猫が野良と化したことが不幸の始まり。多摩川では、外来種の魚の放流を防ぐために「おさかなポスト」という入れ物が設置されているそうです。飼育しきれなくなった魚を安易に川に放つ人が結構いるとのこと。こちらは地域住民の迷惑ではなく、川に先住する魚たちの迷惑ですが・・・

 ペット関連市場が大きくなるのは結構なことでしょうが、生き物を飼うことについての倫理や責任を置いてきぼりのままにしておくと、その軽い感覚はやがては対人間にまで影響が及んでこないかしら?ふと心配になりますね。

タッチアンドゴー

 リーガルサポート大阪支部総会だというのに欠席して仙台へ向かいます。わたしでなければ答えられないことなんてないので支障はありませんが、年に一度のイベントですからいたかった気もします(^^;

 さて仙台までは飛行機です。出張が決まってすぐにインターネットで予約すると座席も取れて、さらにタッチアンドゴーなる手続きが紹介されていました。JALから提供されたQRコードをプリントアウトして手荷物検査場でタッチすれば良いというサービスです。

 半信半疑で、何か勘違いしていてトラブるかもと思いながら怖ず怖ずとタッチすると、あらまぁ簡単♪どこで呼び止められることもなく搭乗口までやって来ました(^^)v スゴイ!の一言です。

登記をなめては困ります!

 海千山千の不動産業者さんはいろんなことを画策して、登記についての意見を我々に聞いてこられます。司法書士ならみんな経験のあることでしょう。

 よくある話が、「この不動産入手のために真実にお金を出したのはA氏なのだけれど、色々な事情があるので、不動産の名義はB氏にしておきたい。でも、いざという時にA氏の権利を保全するためにどんな登記をしたら良いか?」という類のものです。

 これってとても矛盾した話だと思うのです。B氏の名前を借りようとする時点で、登記を便法としか思っておらず軽んじています。一方で、A氏の財産権を守るための正当な手段としての登記を求めているのです。

 基本的に、そんな都合のいい話はありませんよ、というスタンスで描いた絵をお聞きします。

 日本の不動産登記には公信力はない=登記を信じたからと言って常に保護されるわけではない、というのが原則ですが、上記のA氏とB氏のように互いに承知して虚偽名義にした場合に、それを信じて取引した第三者の権利は保護されます。つまりB氏が自分名義であることを利用して、第三者にその不動産を売った場合などです。仮の名義にするというのはリスクの塊と言うしかありません。

 実際の相談は、複数の当事者の利害を調整した複雑怪奇な絵であることが多く、そんなややこしいことをして、尚且つ万全のリスクヘッジなんてあるはずないと思うのです。そもそも登記を道具のように扱われると、細心の注意を払って神経を消耗して不動産決済に臨んでいる立場からすると、腹立たしいことこの上ないのですが、そんなことないでしょうか?

 最近そんなことが続いたので、日頃の鬱憤を晴らしてみました そんな青臭いこと言わずに、もっと頭を使えばいいスキームが生まれるのでしょうかね?でもつい、策士策に溺れる、って言葉を思い出してしまうのです。

安心感を与えてこそ専門家か

 起きたら片方の耳が詰まった感じで、それが一向に収まりません。耳を片方ずつ手のひらで抑えて聴こえ方をチェックしてみてもあまり違いは感じないけれど、周囲に突発性難聴の人が多く、おかしいと思ったら早めの受診!と説かれていたこともあり、昼前に近所の耳鼻科を探して行きました。その頃には、何やら耳の付け根がズキズキするようになっていて・・・

 ちょっと年上の感じの女性の医師でした。落ち着いた雰囲気と声が印象的で、診察の椅子に座っているだけで不安な気持ちが消え去ったことに気づきました。まだ、症状の原因が分かったわけでもないのに。

 先日、以前から知る若い女性が相続登記の依頼に来所してくれました。後から「登記のことを相談できてホッとしました」とメールを貰いました。何の障害もない穏やかな(稀に剣呑なものもあります)相続登記だったので、お礼の気持ちの大盤振る舞い?と受け取っていましたが、耳鼻科医院でのわたしの気持ちと同じだったのかも知れません。専門家に委ねることで、自分だけでは手に負えない漠然とした不安が和らぐのですね。

 耳のほうは検査の結果、やはり少し聴力が落ちているとのこと。血流を良くする薬を処方され、症状がひどくなればすぐに受診するように言われました。気のせいではなく片耳に異常は確かにあったのですが、今やわたしは専門家に繋がっている状態。そう悪いことにはならない、というこれまた漠とした安心を得ています。

 これぞ専門家の存在意義、っと改めて実感した次第です。そして、この安心感を裏切られたくないし、裏切りたくないと思います。

子どもの日

 15歳未満のこどもの数が29年連続で減少しているそうです。そう言えば、GW前半を共に遊んだ高校の同級生も、昨日一緒に晩御飯を食べた中学の同級生も非婚派。まぁ類は友を呼んでるだけと言われればそれまでですが、何度も書いたことですが、出産をしておらず今後も見込みのない女性は周囲に大勢います。

 でも概して皆、決して子ども嫌いではありません。勝手なことを言うようですが、通りや公園で子どもの声を聞くのは良いものです。あらゆる世代で構成されているのが自然な社会の姿だろうと思います。

 ですから、社会全体で子育ての負担を負うのも結構だと思います。子ども手当ても回りまわって、きっとわたしのためになるのだろうと思うことができます、子どものために使われるのなら。

 友人がわけあって甥の面倒を見ているのですが、子ども手当ての申請が難しいようです。必ずしも親が頑張って子どもを育てているケースばかりではないのであって、子ども手当ての理念を実現するためには、柔軟な対応をすべきでしょう。でないと、我々非婚族からブーイングの嵐が吹き荒れるかも。

首長の後見申立急増、の記事

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100501-OYT1T01063.htm?from=any

 読売新聞のオンラインニュースです。

 主要市と東京特別区への調査で、市町村長が後見開始の申立人となったケースが増え各自治体で事務手続きについて理解が進んでいること、などが判ったと報道されています。調査結果では、申立件数、生活保護受給者を対象とした件数共に大阪市が最も多かったそうで、これは市民後見人支援の充実もそうですが、大阪市が自治体として率先して成年後見制度と取り組んでいることを示すものです。

 記事中では、成年後見制度の効能として悪徳商法への対応などを含む財産管理が中心に説明がなされていましたが、以前にも書いたとおり、例えばずさんな管理運営がなされている施設に入所中の認知症高齢者の代弁者として後見人が苦情を申し立てるなど、生活全般について後見人は必要であり意義があります。この辺りも記事中で触れてくれると、さらに制度への理解が深まったかなぁと思うのですが。

 これから行楽日和が続く予想のGW。前半すっかり遊びまくったので、後半は好天の誘惑に負けずに溜まったことを粛々と片付けよう、片付けたい、片付けられれば、、、と願っています

 ところで冒頭のようなオンライン記事の引用は、日にちが経つと消滅したり別の記事に入替ったりするのですね。先日仲良しに読んで欲しい記事を送ったら、後日全然見当外れの感想が戻ってきたので、少しガッカリしてしまいました。まだまだネット初心者です。

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