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2009年6月

窓際族

 事務所の入り口からパーテーションで遮られて見えない畳一畳分がわたしのスペースなのですが、風が通らないので夏は暑いし、横も後ろもガラス窓で冬は寒いのです。(後ろの窓の前には大量の資料が立てかけてあるので窓を開けるわけには行かず、風通しは悪いのです)

 今もあまりの暑さに午前中からエアコン付けたろか!と思ったりするのですが、席を立つと意外に涼やかなので、マイスペースのみ空気が籠っている様子。

 週末のテレビで何度もマイケルジャクソンを見て、学生時代に先輩がカセットテープにダビングしてくれた、その歌手名を「ミッシェル」と読みバカにされたことを思い出しました。

 土曜日は、吹田市のある自治会で1時間だけですが成年後見制度についてお話してきました。

 皆さんお元気な方ばかりでリクエストに答えて任意後見の方に重点を置いて説明したのですが、やはり費用のことで「使いづらい」との声が聞かれました。確かに報酬負担は大きいのが現実です。頼れる身寄りがいらっしゃる方は無理して使う必要はないと思いますが、そうではない方は、コストで躊躇する前に、任意後見契約が必要だという前提で何らかの設計をするべきと考えているとお話いたしました。

 しかし、設計するにも限界があります。任意後見契約を希望されているのだけど、無年金・無収入で預金が2000万円程度の80歳前後の方について、生活費だけで精一杯との結論に達した事例を聞いたことがあります。致し方ないと思われます。

 リーガルサポートの改善提言にも出てきますが、法定後見だけではなく、任意後見にも何らかの公的助成が必要です。

 いざとなれば法定後見があるのだからいいじゃないか、という人もいますが、見守ってくれる人がないケースで法定後見導入になった時は、ご本人のQOLが著しく落ちているのが通常です。もちろん、見守りの手段は任意後見契約に限らなくても良いのかも知れないですけれど。

ついに上級者・・・

 囲碁のことではなく、ナンバープレースです。「Very Hard」を上級者レベルの時間で解き続けています。快進撃中です どっかの球団とは大違いです。

 あんなに、四角の周囲にグチャグチャ書いて四苦八苦していたことが嘘みたい。コツとヒラメキを身に付けてしまったようです、エッヘン 囲碁もそんな調子で開眼できるのかな?講師は、よっぽど方法を間違わなければ大丈夫!ってなことを言ってたけど。そしてこの教室の方法は正しいって。

 ナンプレと囲碁には通ずるものがあります。それは四角の中を遍く見ておかなくてはならないこと。碁盤は広いからなぁ。13路盤でも。それに、見てるつもりでも眺めてるだけで、その意味は分からないからなぁ。

 同じレベルの相手とドンドン打つのが良いそうです。上手い人と対局すべきなのかと思っていたけど。一度父親でも誘ってみようかと思っています。互いに相手の新たな面を見ることになるかも知れません。

執筆料

 昨秋、かなりの時間を割いた原稿に対してフィーが支払われるそうです。期待していなかっただけに嬉しいもの 初稿をチェックしてくれたテリー同業者にお礼をしなくては

 それにしても、日頃会員に対して、後日の紛争を避けるために報酬については事前に十分な説明を行うように指導しているリーガルサポートが、書籍発刊後にこんな連絡を寄こすとは。

 まぁ、報酬については何の説明もなかったのでタダで書くもんだと思っていたから、別にトラブルになるわけではありませんが。こういうことって、身内相手でもきっちりやってこそ、値打ちがあると思うんですけどね。

 昨日は、大阪司法書士会で「公正証書遺言」の研修でした。受講希望者殺到で、会場が会館からエル大阪に変更になったほど。遺言を始めとして、相続や高齢者の財産管理についての関心の高さが窺われます。「成年後見」となると、財産管理に止まらないので及び腰になってしまう同業者が多いようですが。

 先の原稿は遺言について書いているので、意外に同業者も見ていたりして。自分では、穴に入りたくなるのが必至なので、ページを開いていないのに、あぁ嫌だなぁ 執筆料はこの精神的苦痛への対価かも知れませんね。

被後見人とのティータイム

 被後見人Dさんと喫茶店へ行きました。ホームからDさんの足で行ける店は一つだけです。

 コーヒーを飲みながら、席が狭いこととコーヒーが薄いことについて、思ったままの感想を口にされるので、こちらはヒヤヒヤしてしまいました。店の中には二人っきりで、いくらBGMがあるとは言え、マスターに間違いなく聞こえてるはずです。何度も話を逸らそうと努力するのですが、なかなか上手く行きません。

 でも、そんな批判精神があるっていうことは、まだまだしっかりされているということ。ずっとホームに籠りきりでなく、こうやって刺激を受ける機会を持てるよう配慮しなくては。

 帰り道、「久しぶりに外の空気吸ったねぇ」と満足げに仰るので、さっきのヒヤヒヤも忘れて、こちらも微笑んでしまいました。

オージービーフ180g

 昼間っから、ステーキランチでそんなに食べちゃいました お酒はからっきし駄目だけど、美味しいものにセンサーの働く弁護士事務所局長と共に。

 生野菜もタップリ付いて、680円のお値打ち品です。オージービーフってパサパサしたイメージを勝手に抱いてたのですが、脂っこくなく柔らかくて美味しかったです。

 それにしても、原価割れでは?と客に心配させるこのコストパフォーマンス。どんなカラクリがあって実現できるのでしょう?

 一方、わたしは先日、登記の報酬を値切られてプチ切れ 紹介者の顔もあるので「1万円であれば減額することができます」と答えましたが、お相手はそれでは不満そう。着手する前で良かったのですが。最初っから原価割れの大盤振舞で報酬提示すれば互いに気持ちよく仕事ができるのかしら?いやいや、きっとそれでも値切られるのがオチだと思うなぁ。

 どうも我々の仕事は、代行手数料としか思われておらず、専門的助言などはあまり評価されてないんですね。その努力を怠ってきた自らを恨むべきなんでしょうけど。

 気前よくオージービーフを盛り付けるシェフを眺めながら、なぜこんな安く料理を提供するのか?と考えてしまいました。

 ところで、「駄目」は囲碁用語です。白石黒石どちらを置いても、どちらの得にもならない目のことです。日常生活には囲碁がいっぱいです。

認知症の診断は難しそうです

 最近、AさんとBさん二人の高齢者の診療情報を見る機会がありました。それを基に今後の支援方針、特に成年後見等の開始申立てを検討すべきかどうかを判断しようということでした。

 お二人と話した印象は、Aさんはこちらの問いかけに答えて下さるものの、その後自由に話の方向は浮遊していって、元に戻すのが一苦労。現役世代でもこういう人はいるし、わたしもアルコールが一定量を超すと人の話なんてそっちのけタイプなので、これはAさんの性格か?と思わないでもありませんが、物忘れの多い様子を見ていると、やや認知症が始まっているのかも?一方、Bさんとは会話を積み重ねていくことができるし、Bさんからこちらへの質問もあるし、物忘れも見当たらない。判断能力はあると思えます。

 ところが、Aさんの診療情報には「認知症ではない」、Bさんには「認知症中程度」と記載されていました。Aさんは精神科、Bさんは内科の医師がそれぞれ作成しています。

 後見等開始申立てに添付する専用の診断書は、精神科に限定せず、普段掛かっている内科などの医師が作成してもよいとされていることは、開始申立ての負担軽減となるため歓迎すべきことと受け止めていましたが、こんな結果を目の当たりにして、Bさんについて精神科のセカンドオピニオンを聴くべきではないかと思い始めています。

わたしの死は心臓停止でお願いします

 数人の高齢女性のことで、ここのところ事務所にジッとしていることが少なく、ブログ更新も怠ってしまいました。こういうのって、勢いというか習慣というか、一度縁遠くなると復活するのが難しいもんですね。

 週末に一つ懸案事項が解決されたので、意を決して今日は書いてみようと思いまして、とりあえず世界中の皆さんに(だってインターネットで世界中とつながってるらしいんで)表明します。わたしは、誰にもわたしの臓器を提供する考えを持たないし、わたしのことを脳が反応しないからといって死亡宣告しないでください。

 もっとも、何が何でも少しでも長生きしたいというのではありません。己の運命を受け入れるつもりはあります。延命治療は必要ありません。でも、脳が無反応ならその体の死、という概念は受け入れられません。その概念は臓器移植を目的としているからです。医学の進歩は、人の体をパーツの集合体に貶めてしまったように思えてならないのです。生命をもっと神秘的で人知の及ばぬものとして畏れるべきではないでしょうか?

 今朝もどこかの番組で、「臓器の提供を待っている人が○○人います」と言っていましたが、皮肉屋のようだけど「他人の不幸を待っている人が・・・」に聞こえてしまうけどなぁ。

 臓器提供を受ければもっと長く生きることができる、と医師から説明されて、それが叶わない人の苦しみは如何ばかりかと想像します。誤解を恐れずに言えば、臓器移植という技術が生まれたことが、その苦しみの根源だと思っています。生殖医療と同じで、もう元には戻れないのでしょうけど・・・

小ネタ集09/06/09

 いくら役員変更登記が減ったと言っても、今月はやはり役員変更多いです。従来通り取締役の任期を2年のままにしている会社もあるし、意外に任期1年の会社も多いのです。グループ会社だったりすると商号が似ているので、こちらもちょっと混乱しそうになります。

 そんなわけでバタバタしていてブログの更新もさぼり気味ですが、なぜかアクセス急増中。もしかしたら、大阪市HPのバナー広告のおかげでしょうか?

 昨晩は、全盲のピアニスト辻井伸行さんのニュースで泣いてしまいました。よく聴いている「ラ・カンパネラ」を弾く姿が映し出されていて、心から感動しました。視界をお持ちではない分、演奏者と音楽が一体化しているように感じました。

 任意後見契約の準備を進めているTさんと二時間ばかりお出掛け。久しぶりによく動いてかなりお疲れめだったので、施設の部屋に戻った時に「お疲れさまでした」と言うと、「それはこっちのセリフよ」と労って下さり昼食の心配もしてくれました。契約を急ぐ事情があるので、初対面から1カ月程度ですがもう6回お目にかかっています。関係を作っていく自信が生まれました。

喜ばれることの喜び

 今日はとてもハッピーなことがありました。わたし一人だけではなく、おそらくはリーガルサポート社員全員嬉しくなるようなことです。

 半年ほど前に、ご親族の権利擁護のことでリーガルサポートおおさかの常設相談を利用された方からお礼状が事務局あてに届いたのです。相談をお聞きして成年後見申立て援助をしたこともあって、そのお礼状が事務局からファクスされて来ました。

 その中には、関わった数人の司法書士一人一人をあげて、「この制度が広く利用されることを願います」ということと、「皆さんのお仕事で幸せになる家族がいることを知って、これからもリーガルサポートを続けてください」と、まさに我々が『利用者にこんな風に思ってもらえれば』と願うとおりの言葉が綴られていました。

 人に喜んでもらえることを仕事にできているなんて、こんな幸せなことはありません。新支部長も「ジーンと来ました」とメールに書いていました。この感激を皆で共有して、また明日からの励みにしたいといつも以上に前向きな気持ちになったのでした。

 

成年後見の理解が一番進んでいる金融機関は?

 成年後見人の職務はよく「財産管理と身上監護」と説明されるように、後見人になると金融機関とのやりとりが重要な仕事となります。

 今日は、被保佐人Mさんの定額貯金を解約して普通貯金口座に入金する手続きのために郵便局へ出向きました。ちなみに銀行なら「預金」ですが、ゆうちょは「貯金」みたいですね。

 就任時に保佐人の届け出は済ませており、今日は窓口に来たのが本当の保佐人かどうかの確認として、わたしの住民基本台帳カードを提示しました。そこで、窓口の職員とバックの職員の「ん?保佐人なら本人が来ないと・・・」という会話が聞こえたので、「いや、金融機関との取引の代理権あるんで大丈夫です」と登記事項証明書を見せながら言うと、「あっ、代理権あるんですね」と納得されたのです。すごい!判ってるじゃん!

 保佐開始の申立てをシンプルに行うと、保佐人には民法13条1項の9つの行為について同意権が与えられます。本人がそれらの行為を行う場合には保佐人の同意を得なければならず、もしも保佐人の同意なしでその行為を行えば、本人や保佐人はその行為を後から取り消すことができるのです。

 すなわち、同意権と取消権は表裏の関係です。

 同意権のみが付与されている場合、法律行為の主役はあくまでも本人。保佐人はそのお目付け役にとどまります。しかし、本人の状態によっては、保佐人が法律行為を行う方が望ましい行為もあります。そんな場合には、保佐人に別途代理権を付与する申立てを行うのです。

 Mさんについても施設入所契約や金融機関との取引については、ご本人では心許ないため保佐人に代理権が付与されているのです。そして、郵便局の職員はそこのところの違いを理解していたというわけです。

 違いのわかる金融機関、ってところでしょうか。

 後見人等が就任した時に、金融機関へその旨を届け出しますが、この時点でもゆうちょ銀行は違いがわかっています。金融機関側からは、①成年後見登記事項証明書(権限を証明するもの)、②後見人等の本人確認書類(登記事項証明書に記載のある人物であることを確認するもの)の提示と同時に、後見人等の印鑑証明書を求められることが多いのですが、これは後見人等の立場からすれば過剰な要請です。口座開設の時でさえ本人確認ができれば差し支えなく、実印で何かを担保しようとしたりはしません。後見人は家裁から選任された法定代理人であり、その届け出には、後見人が付いたことと、窓口に来た人物がその後見人であることが確認できればいいはずです。

 ゆうちょ銀行ではある時点でマニュアルが改訂されたのか、後見人等に実印・印鑑証明書を求めなくなりました。

 他の金融機関では未だ強固に印鑑証明書の提示を求めるし、任意後見監督人の届け出を求めたりするところもあって、「勉強して!」「研修します?」と言いたくなることがありますから、ゆうちょ、ますます見直しました。

1Q84

 村上春樹の新刊が売れまくっているらしいです。買いそびれているので、手に入れた時はもう初版本じゃないんでしょうね。まぁしょうがない。ゆっくり読めるのはまだ先だし。

 ところで、その報道で知ったのですが、「ノルウェイの森」が映画化されるんですか 全然知らなかったけど、できるの?と問いたい気分。観てしまうだろうけど、がっかりするために観るんでしょうねぇ。

 青春真っただ中(24歳はもう青春じゃない?)で読みましたが、自分の不安定な部分を鷲づかみにされてしまったことを覚えています。それまでの作風と全く異なり、無粋なほどに直截的に魂のことを書いているという印象です。時代はバブルに向かって行ってたこの頃に、なぜこの小説があんな売れ方をしたのか、つくづく不思議ですね。

 村上春樹に触れると、いつでも青春に戻れる、と言って過言ではありません。青春とは?答えはひとそれぞれ、わたしのも秘密です。

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