親の心・・・
同業の仲間と少し議論になってしまいました。彼の中学生の息子さんが最近体調不良のためにある希望が叶わなかったそうで、その希望を司る教師が体調不良であったことを斟酌しないのはおかしいと言うのです。そのいきさつを知ったのがその日の朝だったことと、お酒の席だったこともあったと思うのですが、結構息巻いていたので、口幅ったいと思われること覚悟で「そんなことでめげずに頑張れって励ます方が息子さんのためじゃない?」と言ってしまいました。
その教師が間違っているのかどうかはさておき、わたしのような子育てをしていない人間が教育のことに口を出すのはちょっとした心理的ハードルがあります。子育て真っただ中で心痛めたり悩んだりしている人からすれば、高みの見物でしかないのかもしれないからです。
でも、育てたことはないけど育てられたことはあるし、これから世に出てくる人たちがどのような人間になるのかについては、同時代に生きる者として当然関係があるはずと思っているので、時々自分なりの意見を言います。もちろん、子の悲しみや悔しさに共感する親心については想像の域を脱することはできませんから、どうしても気遅れもあります。その仲間は、意見の応酬すなわち言い合いをしながらも、決して「子供を育てたこともないのに」などと一蹴することはなかったので有難く思いました。内心は思ってたかしら?
どうも最近の人は、ちょっとした欠落に敗北感を抱きがちのように見受けられて気になるのです。アンラッキーも受け止めながら、自分の力を信じて前見て生きて行く逞しさを身につけられたら、これに勝るものはきっとないはず。理想論だとしても、理想を捨てたら醜悪な世の中になってしまいそうで。