死は万が一ではない
昨年末から、事務所近所の地鶏屋さんが店の前でお弁当の販売を始めました。鶏そぼろ弁当は、500円の値段に比してとっても丁寧に作ってあって「お値打ちやね」とpuっちゃんと褒めそやしていたのですが、徐々にそのクオリティが下がって来て、今日食べてみると、ご飯の上のそぼろが前はびっしりと敷き詰めてあったのに今日は下の御飯が透けて見えていたし、おかずの鶏の唐揚げは半分に切ってありました。当初はお客さんを掴むために大盤振る舞いするという販売戦略だったのでしょうか?それとも、あまりに良心的な商売をしていて採算が合わないことに気づいたのでしょうか?いずれにしてもがっかりしています
映画「おくりびと」のお陰で、納棺という仕事に対する関心が高まっているとか。死が日常であることが改めて認識されているそうです。後見の仕事をしていると、死後のことを話題にしないわけには行きません。死を忌避する気持からか「お母さんに万が一のことがあった時には・・・」などと説明する人もいますが、わたしはまず「人はいつかは必ず亡くなりますよね」で話始めることにしています。
これまでの経験で言えば、「いつか必ず死にますよね」の言葉に気分を害した方はいらっしゃいません。「そうですね」と受け止められ、その後淡々とお話ができるような気がします。