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2009年3月

囲碁始めます

 明後日から、囲碁教室の無料入門講座に通い始めます。数年前から、老後の趣味は「囲碁」と「俳句」に決めていたので、そろそろ着手しようと思いまして。今年の年賀状にも抱負として書いておきました。有言実行です。

 「スジがいいみたい」と言ってプロ棋士目指し始めたらどうする?とpuっちゃんと笑い合っています。多分、この手のことはセンスに欠けると自覚していますが・・・

介護認定調査が変わるらしい

 被後見人Yさんを訪ねる道すがら、その施設の副支配人にばったり出くわし立ち話をしました。この副支配人は元看護師だそうで、施設の都合よりも利用者の暮らしを思ってくれていて、いつも頼りにしています。

 介護認定調査の基準が変わるということで研修に行って来たら、介護度の認定が従来よりもさらに厳しくなって、極端な場合は、要介護5の方が3になってしまうケースもあり得るとのこと。例えば、胃ろうを造っている方はこれまで食事は「全介助」だったものが、新基準では「自立」になるそうです。国は、できるだけ介護度を下げて、高齢者を在宅に戻そうとしているけれど、戻りたくても戻れないケースがほとんどなのに、と嘆いておられました。

 介護付き施設の場合、介護度が低くなると当然介護報酬も下がり、入所者にとっては一見有難い変化かも知れません。施設側にしてみれば、見て見ぬふりはなかなかできないでしょうから、少ない報酬でこれまでと同じサービスを提供することになって負担が増大することになるのでは?と懸念します。待遇が悪いために職員の離職率が高く、常に人不足の状況は入所者にとっても喜ばしいことではありません。

 もちろん、最終的には介護保険料引上げ、もしくは福祉目的税の話に繋がって行くわけでしょうけれど。仕事をしてもらったらコストが発生するのは当然なわけですから、そのコストの負担の割り振りの問題だと思います。良質の介護サービスがもっと必要なのです。誰がそのお金を負担するのかと言えば、余裕のある方から多めに出していただきたい、ということになるでしょう。

 介護保険制度はややこしいし硬直的な部分があって(保険の理念からすれば当然なのでしょうが)、高齢者で正しく理解している方はなかなかいないと思います。わたしも大枠を分かったつもりになっているだけです。介護度が低くなって、これまで受けていた介護サービスが自費負担になったりしたら、その不満のはけ口はサービス事業者に向かいがちなように見受けられます。良心的な事業者ほど辛いのではないかと、お節介にも慮ったりしてしまいます。

ナンプレ向上中

 温泉に行く前に文庫本でも買って行こうと駅前で本屋を探しましたが、スーパーの中にちょこっとした書籍売り場があっただけで雑誌が中心でした。そこで禁じ手を出して、「驚異のナンプレ」だったかな?ナンバープレースの問題集を購入。只今着々と腕を上げ続けています。スタートレベルが低いから当然なのですけど。こういうのはやり始めると止まらないから自粛していたのに・・・

 まだ「eazy」レベルですが、時間は間違いなく短縮されてきました。解き方のセオリーが増えたような気がします。難事も集中して取り組むと得る物が大きいようです。今は頭を柔軟にしている段階ということで有益な時間使いですが、無駄遣いにならないように注意しなければ・・・

代弁者の責務

 被後見人の名前にあててメガバンクから電話がかかりました。何事か?と思いながら出てみると、その日その銀行の口座に数百万円を入金したことのお礼だそう。恐らく定期預金か国債か、はたまた投資信託かの営業をするつもりだったのでしょう。今でもそんなことしてるんですね。

 被後見人のゆうちょの定額貯金が満期になっていたので、満期金を受け取りメガバンク口座に入金したのです。こうやってまとまったお金が入ってくるのを見ると、貯蓄って大切だなぁと感じます。本当にお年寄りの後見人をしていると自らの老後に思いを馳せますよ。以前より堅実になったかも知れません。

 成年後見人は、自分で声を上げられない人の代弁者だと先日書きましたが、今日Rさんを特別養護老人ホームに訪ねて、わたし自身が果たしてその責務を果たせているのか自省しました。何も話してくれずベッドで身を固くしているRさんの声にならない声をキャッチできているのか?代わりに声を発しているか?満点というわけには行かないのが事実です。でも凹まず満点目指して頑張りましょう。

100年早い

 WBC連覇の陰に隠れた芸能人夫婦の離婚。夫であるお笑い芸人が浮気を自認していましたが、「何考えて浮気なんかしたんやろ」「100年早いですよね」とpuっちゃんと意見が一致しました。

 あくまでも女性としての感覚です。

 事務所に持ち込まれる婚姻関係の相談を聞いていると、この夫婦のように問題が起こって結論が早期に出る、というのは一般には難しそうな気がします。子がないことと、夫婦ともに経済力があるということが決断をし易くしているのでしょうか。

 先週訪れた高知県は、アテンドしてくださった同業者の話によれば離婚率が沖縄に次いで全国二位とか。「自立している女性が多いのでしょうか?」と尋ねると、「気が強い女の人が多いんですわ」とその男性は答えられました。日照時間が離婚率と相関関係にあるのかと思い調べてみたら、意外にも沖縄は日照時間が短いのです。無関係でした。視界が明るいと楽観的になって人生も大胆になる、という仮説を立ててみたのですが。

 離婚は大胆な選択、というのは時代錯誤かも知れませんね。

 ともかく、あくまでも女性の感覚で申せば、自分が浮気をしてもパートナーに許してもらえるかどうか、男性はよく吟味してみるべきでしょう。100年早過ぎたりしないように。逆の場合もあるでしょうが。

ここ一番に本領発揮とは!

 不振だったイチローが決勝点をたたき出してWBC連続優勝とは、何て劇的な終わり方なんでしょうか。原監督ならずとも、目がウルウルしてしまいますね。

 あの場面でタイムリーヒットが打てるなんて「さすが」の一言に尽きますね。わたしなら力が入って三振してしまいそう。もっともそんな大舞台に立つチャンス自体が巡って来ませんけれど。

 パソコンにチョイテレというチューナーを付けているので、実はライブでテレビ観戦してしまいました。でも綺麗な画面で再度熱戦を味わうつもりです。

 阪神の選手はいたのかいなかったのか、今年も分かりませんでしたね。岩田が挫けずに、ペナントでは気を取り直して投げてくれることを切に願います。

「ナオス」が通じない?

 三連休初日は、高知で「成年後見人養成講座」の講師をして来ました。主催者との打ち合わせもそこそこで挑んだためほとんどぶっつけ本番で、かなり疲れてしまいました だからと言うわけではありませんが大阪弁がついつい出て、「通帳をなおしてしまってどこに行ったかわかりません・・・」などと言って、休憩中に主催者側から「あれは受講者に理解できないです」と指摘を受けました、トホホ 何の疑問もなく使っていても方言なんですねぇ。ちなみに「なおす」って「しまう」とか「片付ける」という意味で使っています。もちろん「修理する・治療する」の意味で使うこともありますが。

 高知では平成19年度の市長申立てが4件と大変少なく、「申立権者となる親族が見つからないというケースが稀なのでしょうか?」とコメントしたところ、市長申立てが必要な高齢者は大勢いるが、市に要綱や予算組みが為されていないために市長申立てが進まないのだと、一人の出席者が嘆いていました。大阪市の成年後見支援センターによる市民後見人養成講座を、心の底から羨ましがっておられたことが印象的です。地域包括支援センターの職員の方のようでした。

湯治バンザイ

 土曜日の夜に秘湯と呼んでも良さそうなひなびた温泉に泊まりました。その日に二回、翌朝一回ゆっくりとお湯に浸かって、5時間かけて電車で帰って来たのですが、そんな長旅もなんのその。今朝目覚めてみて体が軽いのにびっくり 起きてすぐ行動もできたし、用事を片付ける意欲も湧きました。疲労の特効薬は温泉ってことのようです。

無届け施設

 群馬で老人向け施設の火災が発生したそうです。10人の高齢者が亡くなってしまい、無届け施設であったことが大きく報道されています。周辺住民からも運営に問題があるとの指摘があったそうですから、当然入居者自身も感じていたはずです。自分で判断ができ支援者がいれば退所するなどの方法も取れたでしょうが、判断能力が衰えていた方もいたとすれば、その人たちは疑問を感じることができないし不快感を訴えることもできません。そのような高齢者に成年後見人が付いていれば、施設の不適切なことを指摘できて、もしかしたら施設の運営を早くに是正に導けたかも知れないと考えてしまいます。身寄りがなければ第三者後見人だけれど、第三者後見人には報酬がかかるので申立を躊躇する、というのが実態ですが、生活保護費または介護保険の中でいくばくかの後見人報酬を手当てして、劣悪な状況に置かれている高齢者の声にならない声を拾い上げるべきではないでしょうか?

 廉価で入所できる施設が不足しているのは間違いないことでしょうが、それは法の隙間を縫うことの言い訳にはなりません。志高い事業者であれば法令順守も徹底するはずです。しかし、施設を増やしたり施設を規制することだけで問題は改善されるわけではなく、利用者と施設が対等であるためには、弱者である高齢者には代弁者が必ずいるということも求められると思います。

お一人様の受難

 千切りキャベツのおかわり自由なとんかつ屋が近所にあって、時々一人で晩ごはん食べに行ってました。きれいな店で、席と席が離れているし、何よりあまり混み合ってないので、一人でもとっても行きやすかったから。揚げたてのとんかつは美味しいですしね♪

 昨日のリーガルサポートの会議中、お腹をグルルルルル鳴らしていたわたしは「今日はとんかつ食べて帰ろ」と心に決め少し遠回りをしたのですが、何と店のシャッターは下りていて、見回せば看板も消失していました

 ザワザワしていなくて女性一人でも入りやすいというのは、即ちあんまり繁盛してないってことなんですよね。うすうすわたしも『大丈夫?』と思ってはいたのです。周りがガヤガヤしていても一人で食事ができる根性を身に付けるか、一人でササッとかきこんで席を立つファーストフード系で我慢するか、やはりお一人様は辛いのです

制限行為能力者

 昨日は大阪司法書士会の新人研修。模擬相談を経由して成年後見開始の申立書を作成するカリキュラムがメインでした。

 設定事例では、本人は一昨年に訪問販売で浄水器を購入してしまい、未開封のままでおいてあって、ローン会社からの督促状が届いています。わたしは模擬相談では相談者で、本人の兄役。新人たち演ずる(?)司法書士に「その成年後見というのを使うとどんなメリットがあるんですか?」と尋ねました。『後見人には取消権があるので、弟さんが一人でした法律行為を後から取り消すことができますよ』という説明があって、兄が『では、この浄水器を買ったのも取り消せるのですね!』と喜び、『いえ、後見人になる前の行為は後見人の取消権は及びません』という展開を期待していたのですが、当ては外れて取消権の説明は出てきませんでした

 民法において、成年者は原則行為能力を有しています(4、5、6条)。そして、成年者に後見が開始されると行為能力が制限され、本人がなした行為(ただし日常生活に関する行為を除く)を後見人が取り消すことができるようになります。こうして、行為能力を制限することで判断能力が衰えた者を保護する仕組みが成年後見制度です。保佐・補助は行為能力が制限される範囲が異なります。

 一方、意思能力のない者が行った法律行為は無効という古い判例があります。意思能力を有していることは法律行為の大前提なのです。ところで、法律行為の際に意思能力があったかなかったかは、その都度判定しなくてはなりません。重度の認知症患者が法外に高額な商品を購入したところ、その売買は意思無能力だったから無効であると主張しても、意思能力がなかったことを立証することは現実には難しく、なかなか本人の保護にまで行きつきません。

 そこで、成年後見制度では、意思能力(判断能力・事理弁識能力と同意と考えて良いと思います)が不十分な者の行為能力を制限することによって、意思能力の有無を判定することなく、取消権行使によって法律行為を無効にできるようにしているのです。

 ですから、いくら精神上の障害が重く、自分で判断する能力がなかったとしても、後見が開始していない段階では「行為能力がなかったとして取り消す」などという主張は成り立ちません。行為能力は制限されていないからです。「意思能力がなかったから、その法律行為は無効だ」という主張をするか、もしくは他の取消権(例えば消費者契約法上とか)の行使ができないか検討することになるはずです。

 浄水器の代金請求への対処は重要な論点ではなかったので深い議論には至りませんでしたが、意思能力と行為能力の違いが曖昧なままの人は多いようでした。

冷凍なべ焼きうどん

 子供の頃からなべ焼きうどんは好物の一つ。自分でも作るけれど、事務所で残業するときには、キンレイの冷凍うどんのお世話になります。そう言えば一昨年の肘の怪我で左腕が使えない時は、一日おきくらいに食べてました。コンビニで買えるのも便利なんですよね。

 初めて食べた時にうどんにコシがあって、とっても美味しく感じました。たぶんきつねうどんだったと思います。その後、新製品が生まれては消えて行っているようで、色んな種類を試しているのですが、食べる度に、うどんのコシに差があるような・・・でも感覚としてはきつねうどんのコシが最も強い!他のユーザーの方はどう思ってるか、知りたいものです。

 さっき、期間限定「デラックス鍋焼きうどん」をいただいたところです

親の心・・・

 同業の仲間と少し議論になってしまいました。彼の中学生の息子さんが最近体調不良のためにある希望が叶わなかったそうで、その希望を司る教師が体調不良であったことを斟酌しないのはおかしいと言うのです。そのいきさつを知ったのがその日の朝だったことと、お酒の席だったこともあったと思うのですが、結構息巻いていたので、口幅ったいと思われること覚悟で「そんなことでめげずに頑張れって励ます方が息子さんのためじゃない?」と言ってしまいました。

 その教師が間違っているのかどうかはさておき、わたしのような子育てをしていない人間が教育のことに口を出すのはちょっとした心理的ハードルがあります。子育て真っただ中で心痛めたり悩んだりしている人からすれば、高みの見物でしかないのかもしれないからです。

 でも、育てたことはないけど育てられたことはあるし、これから世に出てくる人たちがどのような人間になるのかについては、同時代に生きる者として当然関係があるはずと思っているので、時々自分なりの意見を言います。もちろん、子の悲しみや悔しさに共感する親心については想像の域を脱することはできませんから、どうしても気遅れもあります。その仲間は、意見の応酬すなわち言い合いをしながらも、決して「子供を育てたこともないのに」などと一蹴することはなかったので有難く思いました。内心は思ってたかしら?

 どうも最近の人は、ちょっとした欠落に敗北感を抱きがちのように見受けられて気になるのです。アンラッキーも受け止めながら、自分の力を信じて前見て生きて行く逞しさを身につけられたら、これに勝るものはきっとないはず。理想論だとしても、理想を捨てたら醜悪な世の中になってしまいそうで。

新人研修の季節

 昨日弁護士事務所へ打ち合わせに伺うと、司法修習生が来られていました。弁護士も研修の季節なのでしょうか?

 大阪司法書士会ではこの土曜日から新人研修が始まります。まずは成年後見部門からなので土日共に出動すべしではあるのですが、土曜日は大阪市成年後見支援センターの市民後見人養成講座もあって、そちらを優先することにしています。

 漏れ伝わってくる話では、新人さんの中でも、司法書士という資格を商売の道具と捉えている人と、社会的使命を果たすべきと考える人とがいて、飲み会などで論争になることもあるとか。日曜日のカリキュラムの中で、成年後見人の利益相反のことなどを講義することになっていますが、興味を持って聞いてくれる人がどれくらいいるでしょうか?できれば成年後見に関心がなかった新人さんの心を動かすような研修にしたいものですが、一方で、ビジネスとのみ捉えて参加されても困惑するのが正直なところです。

 常識外の高額報酬や、現実に身上監護は不能な本人と受任者との地理関係など、首を捻ってしまう任意後見契約についての相談は確実に増えてきています。司法書士としては、そうした本人の利益とならない契約を是正することはあっても、問題のある契約の当事者となってしまっては目も当てられません・・・

まさか欠食児童には見えないでしょう?

 最近不思議なことがあります。人から「ちゃんと食べてる?」「食べなあかんで」と言われることが続いているのです。父や先輩同業者なのですが、わたし栄養足りないように見えますか?

 でも、その言葉をいいことに、食べるの何のって、アイスクリームやらケーキやら誰に憚ることなく買い込んでます。ラーメンも食べるし、洋食屋では海老フライ定食にクリームコロッケを追加して食べました。人様に心配かけちゃ申し訳ないしね。今日も少し遅くなったけど、満腹になるまで食べよ♪

デビュー?

 ついに花粉症デビューしたかもしれません。すでに罹患の友人たちはこぞって歓迎してくれるのですが、どうしてなんでしょ?くしゃみ止まらず、ほっぺたが痒いし、眼はゴロゴロ。マスクをすると視界が狭くなってしまうけどしょうがないですねー。マスク代もバカにならないので数日使い回しています。

 建物明渡執行を準備していたら、大家さんから「少しお金を持って来たので、しばらく様子を見ることにします」と連絡がありました。判決は4年前に取っていたのですが、のらりくらり言い訳する賃借人にほだされておられたのです。家賃を誠実に払わない賃借人と決別したい気持ちと、この寒空(気温だけでなく経済環境が)に立ち退かせることへの気後れとの葛藤が痛いほど伝わって来ます。先日まで「立ち退きなんかさせることはできない!」と息巻いていた賃借人も、弁護士に相談に行ったらしくその後は神妙な態度に変わっているようです。

 たった今は、抵当権実行についての質問の電話がありました。債権回収、焦げ付きの最小化、今の世情です。

集合債権譲渡

 債権譲渡担保登記の準備をしています。登録免許税が、譲渡債権の個数が5000個以下とそれを超える場合とで異なってくるのですが、今回もかなりの数になりそう・・・・登記申請データの入力は想像しただけで息が上がります

 何年も前に債権譲渡登記を準備して登記申請に至らないことがありました。原因は、譲渡人の会社登記に債権譲渡をした旨が記載されるから、というものでした。見慣れぬ「債権譲渡登記」が会社謄本にあれば、信用不安に陥ってしまうというのです。結局その会社は債務不履行を起こして倒産し、債権を譲り受けるはずだった会社はそこの商品(食品)を押さえて安売りしていました。

 平成17年に債権譲渡特例法が改正された際に、会社登記簿に債権譲渡登記したことを記録するシステムは廃止され、別に、債権譲渡登記事項概要書ファイルなるものが設けられました。これは会社謄本同様に誰でも請求できるものです。会社の登記事項証明書を見れば債権譲渡したことが判明するという点が、利用を妨げる原因になっていたのでしょう。債権譲渡したことをむやみに知られたくない譲渡人の事情と、公示の必要性に折り合いをつけた格好?となると、取引の相手方を調査する際には会社の登記事項証明書だけではなく、債権譲渡登記事項概要書も請求してみるべきと言えるでしょう。そんなこと実践しているという話は身近では聞いたことはないのですけど、現場ではどうなんでしょうか?

ある同業者のぼやき

 仲良し同業者と久しぶりに長電話。昨今の状況を嘆きあいました。仲良しは、昔、家の登記をした方から、権利証の表紙を頼りに電話をもらい「夫婦間贈与の登記」の依頼を受けたそうです。登記費用をあらかじめ説明して、全ての書類に署名捺印をしてもらい、権利証と登記費用も預かり、さぁ依頼者のお宅から帰ろうとした時に、準備していたこともあって親切心から「不動産取得税はこれくらいかかるでしょう」と伝えたら、「夫婦間贈与の登記を勧めてくれた知り合いは全部で10万円くらいでできると言っていた。」(既に預かった登記費用だけでも10万円を超えている!)と言い出されて、結局全てを返したとのこと。そのまま事務所に戻ってオンライン申請する段取りにしていたのに・・・と受話器の向こうの声も肩を落としていました。

 そもそも贈与登記をなさろうとする動機に複雑な事情があったようですが、ともかく何かが徒労に終わってしまうと、人間どっと疲れますよねー。丁寧に説明して、それまでの報酬を少しだけ頂いたそうですが。

 今日の週刊文春に「過払い返還」バブルに沸く司法書士・弁護士を槍玉にあげる記事が載っていました。テリー同業者が教えてくれたんですが、そろそろ叩かれてもしょうがない頃やね、とpuちゃんとうなずき合いました。何度か書いていますが、あの広告料金は半端な額じゃないはずで、それを回収しようとすれば当然割りのいい事件ばかりを多数受けなければならないはず。派手な広告をしている事務所でいい加減な処理をされて、再び別の司法書士や弁護士事務所に駆け込んだという話はよく聞きます。

 私たちの仕事も「商い」の側面があることは否定しません。でも、おいしい仕事しかしないという人は、同業者と思いたくはないです。

死は万が一ではない

 昨年末から、事務所近所の地鶏屋さんが店の前でお弁当の販売を始めました。鶏そぼろ弁当は、500円の値段に比してとっても丁寧に作ってあって「お値打ちやね」とpuっちゃんと褒めそやしていたのですが、徐々にそのクオリティが下がって来て、今日食べてみると、ご飯の上のそぼろが前はびっしりと敷き詰めてあったのに今日は下の御飯が透けて見えていたし、おかずの鶏の唐揚げは半分に切ってありました。当初はお客さんを掴むために大盤振る舞いするという販売戦略だったのでしょうか?それとも、あまりに良心的な商売をしていて採算が合わないことに気づいたのでしょうか?いずれにしてもがっかりしています

 映画「おくりびと」のお陰で、納棺という仕事に対する関心が高まっているとか。死が日常であることが改めて認識されているそうです。後見の仕事をしていると、死後のことを話題にしないわけには行きません。死を忌避する気持からか「お母さんに万が一のことがあった時には・・・」などと説明する人もいますが、わたしはまず「人はいつかは必ず亡くなりますよね」で話始めることにしています。

 これまでの経験で言えば、「いつか必ず死にますよね」の言葉に気分を害した方はいらっしゃいません。「そうですね」と受け止められ、その後淡々とお話ができるような気がします。

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