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他山の石とする

 正確には「他山の石、以て玉を攻むべし」というんですね。テリー同業者がしばしば「他山の石とさせていただきます」って、他人のふり見て我がふり直せ、的に使っています。

 数日前のローマでの前財務相の姿をニュースで見て、まっ先に思い浮かべたのは実はこの言葉でした。あんな状態になったらすぐに寝る!寝られない時はあんなんになっちゃダメ!自分に言い聞かせました。薬の飲み過ぎは経験ないですが、お酒の飲み過ぎは時々ありますので。

 記者会見現場よりも腹立たしかったのは、帰国後の国会での答弁。「ゴックンはしていません」と、まるで気のきいたこと言ったかのような満足げな笑みに、まさにただただ呆れるばかりでした。政治家は官僚の悪口ばかり言ってるけれど、これじゃぁなめられても仕方ないでしょう。十羽一絡げはいけませんが。

 一方、村上春樹のイスラエルでの講演のニュースには涙を流しました。素面でしたが。村上さんの声は初めて聞いたような気がするし、演説内容が、声高でなく魂をのぞかせる彼の小説のスタイルそのもののように感じられて、胸を打たれました。

 今、宮部みゆきの「日暮らし」を読んでいて、この人の構成と文章の巧さ、洞察力の確かさに感嘆しているのですけれど、ジャンルが異なるから当然と言えば当然ですが、そこに宮部みゆきの魂を感じることはありません。己の能力を自由自在に操って意気揚々とした姿が目に浮かぶだけです。でも、村上春樹の小説からは、作家の苦しみ、消耗が伝播してくるのです。その沈殿があったから、英語の演説でも揺さぶられたのでしょうねぇ。果たして、村上春樹はその思考が凄いの?それとも表現力が卓越してる?やはり両方かー。ともかく良かった、スピーチと動く姿。結局ミーハー?

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