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2009年1月

サービス担当者会議でわかったこと

 Bさんは特別養護老人ホームに入所中なのですが、個室で一人っきりで過ごしていることが多かったり、昼間も寝巻のままだったりすることが気になっていました。知り合いの社会福祉士に相談すると、「担当者会議に参加させて欲しいと言ったら?」とアドバイスをもらったので、早速ファックスでその旨申し入れました。しばらくして会議開催がファクスで案内されたのですが、残念ながら先約で出席できなかったので、気になっていることを又もやファクスで伝えておきました。月に一度の訪問時に、担当ケアマネージャーさんがわたしからの申し入れについて説明をしてくれて、申し入れた甲斐があったなと思っていました。

 今年に入って、また突然に担当者会議の案内が来たので、今度こそ!と思い時間を調整して参加しました。すると、師長さんや相談員さんから、「こちらとしてもこのままで良いと思っているわけではないんです」というお話があり、びっくり!現場の方の悩みが深い様子が伝わって来ました。根本的な問題は、巷でも言われている絶対的な人手不足のようです。賃金が安すぎること、介護保険の報酬改定があっても不十分であること、などを嘆かれていました。「他の特養と比べて気付くことはありませんか?」と聞かれたので、「率直に言えば、職員の数が少ないと感じています」と申し上げたところ、わたしの言葉を上司に伝えると仰っていました。もちろん法定の職員数は確保されているとのことです。

 施設側の事情を酌みつつも、わたしはわたしの立場で行動をして、結果として介護現場の改善につながればいいのですが。

肩ホットン 腰に貼ったら腰ホットン

 整体に行ったら、体が非常に冷えていてそれが余計な肉の付いている原因と指摘されたので、冷たいビールを控えて胃の温度を下げないようにし、さらに両肩と腰に肩ホットンを貼って外からも温めています。今年は肩ホットンの備蓄があるので、贅沢な三枚貼りです。肩ホットンのシリーズには腰ホットンも別にあって、発熱温度がそれぞれ50度と48度と微妙に異なるのですが、まぁいいんじゃないでしょうか?腰が冷たいという自覚はなかったけれど、温めると確かに気持ちいい、快適な気分です。これだけでサイズダウンなんかしたら、なんて楽チンなダイエットでしょう・・・・・あり得ないか

 先日、被告代理人になっている裁判が終わりました。裁判所の強烈な和解勧試があり和解で決着したのですが、最後に裁判官から「被告代理人もここまで頑張ったんだから、被告も満足しているでしょう」と労いの言葉をかけられて苦笑いするしかありませんでした。和解案が二転三転し、産みの苦しみを味わったので・・・判決は遅延損害金が付くし一括払いなので、和解案を蹴って判決を選ぶよりも和解の方が被告に有利であることは間違いないのですが、もう少し原告に歩み寄って貰いたかった。なかなか渋い会社でした。

グーグルマップ

 グーグルマップに登録するとSEO対策になると、情報をいただいたので早速トライ。情報源は全く分野の異なる業種の方なので、気前よく何でも教えてくれます。

 事務所名など登録して説明を200文字以内で書き込めるのですが、当事務所のお決まりのフレーズ「女性ばかりの司法書士事務所です。」から始めたところ、「エラー」で訂正を求められてしまいました。「ばかという言葉は使用できません」とのことです。「ばかとちゃうのに」と喚いていたら、puっちゃんが「そっちがばか」と言ってました。本当に機械って融通が利かない

 先週は何かと予定が入っていて華やかな週だったにも関わらず、冴えない自分を感じて滅入っていたのですが、昨日極めつけの大失敗。履いていた、いつ買ったのか思い出せない愛用のブーツのゴム底が、歩いていると文字通り破壊されてきたのです。そう言えば玄関に何か黒っぽいモロモロのものが少し落ちていたっけ。ちゃんと注意を払えば良かった・・・そのまま目的地まで行ってしまおうかと思いましたが、電車一駅進んだところで、やはり危険!と引き返しました。

 実は、履いている最中の靴のゴム底崩壊はこれで三度目他の人からこんなエピソード聞いたことがないので、わたしが異常に物持ちが良いということなのかも知れません。あるいは、身の回りを気にしなさ過ぎなのか。ともかくいい年して恥ずかしいことこの上ないです。

官僚って・・・

 TVタックルやサンデープロジェクトやそこまで言って委員会を観ていると、結局日本にとっての膿は官僚制度ということになるのでしょうか?今話題の「渡り」なんて聞いてるだけで超むかつくので、そりゃ何とかしてもらいたいですね。

 しかし、これだけ非難轟々なのに官僚側からの反論が全く聞こえてこないのはどうしてなのでしょう?大人だから?公僕は表に出ちゃいけないから?非難が伝わってない?衆愚のたわ言と思っている?たまに報道番組のインタビューに答えている人たちは、慇懃無礼で糠に釘状態。何が問題とされているのかを承知しているようには見えません。何となく、官僚という別の人種がいて、異なる文化があるように思えてきます。官僚っていう定義があるわけじゃなさそうですが。

ダメ出し・・・

 昨年11月末に納品した原稿のダメ出しが戻って来ました。嫌だなぁ。そりゃ完璧とは思ってないけど。あとはそっちで直しておいてくれたら良いのに。もう見たくもないのに。共著者のところは匿名にしておいてくれればいいんだから。あー恥ずかし。

 後から後から『、あーそう言えばこんなことも書いておけば良かった』と気が付くので、本当に嫌になってしまいます。まぁ執筆に与えられた時間は十分あったわけだから、着手の遅いわたしが悪いのに違いないのですが。

 さて、週末事務局ノリヤーからソウル土産に柚子茶を貰いました。これもやっぱり本場のものに限ります。日本製の瓶入り柚子茶が冷蔵庫に眠ってます。あまり美味しくなかったのです。

やっぱ本家本元に限る

 って思ったこと二つ。

 一つ目は、電話回線はやっぱりNTTかなぁ?携帯電話は契約時に13万円程度必要だった頃から使用していますが、ずっとKDDI改めAU利用者です。基本的にナンバー2が好きなので。で、昨年家庭用ファクス電話を購入した際に、自宅の電話回線もAUにまとめました。先日、父から留守電に折り返し電話欲しいとメッセージがあったので、掛け直すと話し中。それが何度掛けても話し中なので、これは絶対受話器が上がってるわ!と思い、それを調べる番号(お話し中調べ)に掛けようとすると、なんとAUにはなかったのです。回線変更する際に、NTTにはあるけどAUは対応できていないサービスの説明は受けた記憶があるので文句は言えないのですが、やっぱりいざという時は本家本元。

 二つ目は、キーウィ。ニュージーランド産のゴールデンキーウィを買うことが多いのですが、フードマイレージの考え方が気に入り、たまたま国産のキーウィを見かけたので買ってみましたが、おいしくない!固いし酸っぱい。冷蔵庫に入れず熟さないか待ってるけど、萎びるだけで効果なし。やっぱ本家本元ですわ。

放課後のことで大騒ぎ?

 政治家の私生活のことで、鬼の首取ったように責め立てるのはもう止めて欲しい。もっと頭を悩ますべき懸案事項が山積みでしょうに。鴻池議員と美人人妻、話題にしたくなる気持ちはわかりますが。アフターファイブ(古い言い方?)のことまでねぇ・・・国民の一人としては、そういう点での潔白さは求めてないけど。議員宿舎っていう点が問題なのでしょうか?友人が訪れてはダメなのかしら?

 ただ、アフターファイブのことで当人と紛争になってしまったら、政治家としての資質を疑問視してしまうかもしれません。クリントン、わき甘いかも。ミッテラン、スマート。

ブログで懲戒

 女性弁護士が自己のブログで依頼者からの相談内容を掲載して、懲戒処分を受けたとの新聞記事がありました。

 記事によれば、そもそも弁護士と相談者との信頼関係が破綻していたようですが・・・他山の石としなければ。

冬来たりなば・・・

 平均月4回歩くJR今宮駅から大阪市社会福祉研修情報センターへの道は、率直に言って楽しい道のりではありません。犬のものらしい糞がそこここに落ちていて、直視すると吐きそうだけれど、踏んでも困るので下を見ないわけにもいきません。それにゴミ置き場があって、しょっちゅう天敵カラスが袋をつっついているのです。彼らの図々しい態度と言ったら。

 でも、一服の清涼剤、歩道に桜が植わっています。今朝その下を通ると、冷たい空気の中、枝の蕾が確かに膨らんでいるのが見て取れました。ホントにほんの少しではありますが。季節が廻るというのは、精神衛生上とっても有益です。特に春の訪れは。

 帰りは今宮から新今宮まで一駅だけ乗ります。今宮駅は後から増設された駅だそうで、そのためかどうかは知りませんが構造が複雑です。新今宮方面に行く電車は異なる二つのホームに入って来るため、1階でどちらのホームに先に電車が入ってくるのか時刻表で見定めなければなりません。間違ったホームへ上がってしまうと、結構な時間待たされてしまいます。ところで、ご承知のとおりJRは本当にダイヤが狂いがち。だから時刻表を信じてホームを選択しても、電車の遅延でもう一つのホームに電車が来ることがあり、大慌てで一旦1階まで駆け下り反対側のホームへ上がったこともあります。こういうことを適確に案内してくれれば親切なのに、私見ですが、JR西日本は配慮の行き届いたサービスは苦手のようです。

 ついでにJRについて思ってることを書くと、今宮駅でいつも目に入るのですが、恐らくは全ての駅にあるのでしょう、福知山線脱線事故に関してお詫びと再発防止の決意表明を記したポスターが貼ってあります。下の方に年月が書いてあり、月が変わるとちゃんと更新されています。文章まで読んでないので確かではありませんが、恐らく内容は同じではないかと想像しています。駅員さんは貼り替える度に、気持ちを引き締めて二度とあんな事故を起こしてはならないと戒めているのでしょうか?それなら意味もあるでしょうが。あるいは想像に反して、毎月毎月異なる言葉で反省と決意を述べているのでしょうか?それなら少なくともポスター作成に関わる社員は、月に一度思いを新たにするかも知れません。でも、わたしにはどうもなおざりな反省の儀式のように見えて不快なのです。ルーティンワーク化しているところが、そう感じさせているように思います。真摯に再発防止に取り組んでいるなら、もっとその生々しい具体的な姿を見せればいいのに、と思うのです。あの事故はひど過ぎます。

「そうか、もう君はいないのか」

 このタイトルを書店で初めて見たとき、伴侶を喪って蕭然した様が直截的に伝わってきて、私事ですが、我が家も母が先に亡くなって父の痛手はかなり深かったので父の心情にも思いを致して、鼻の奥がつーんとしました。昨日ドラマを放映していましたね、観てないのですが。

 同じく城山三郎の「粗にして野だが卑ではない」も、中学生の頃、塾の先生から「雑草のよう」と評されたトラウマのせいか、目指すべき境地として印象深いタイトルです。この人は核心を衝いてストレートにタイトルを付けるようですね。

 強烈なタイトルナンバーワンとしてパッと思い浮かぶのは「百年の孤独」でしょうか。この題名を見たら読まないわけにはいかない気がします。原語でも同じ意味なのか、それとも翻訳者の勝利なのか気になります。中身はしっちゃかめっちゃかで、何かを読み取れと言われても浅学非才の身には圧倒的な生命力以外感じることはできないのですが、面白いことは受け合いです。かの有名な焼酎も、この小説から名を頂いたのでしょうか?

 タイトルは重要です。書店で客の目を引き付ける役割という意味でもそうですが、タイトルが本文と渾然一体としてこそ文学としての完成度が高まるってもんなのでしょう。

「さもしい」とは?

 テリー同業者が「あさましいとかっていう意味と思ってたわ」と仰るので、手元の大辞林で引いてみると、まさにドンピシャ!でした。菅さんは広辞苑でしたっけね?いずれにせよ、上げ足取りの応酬は聞き苦しい。もっと本質的な議論を渇望しているのはわたしだけじゃないはずです。それとも国民のレベルに合わせてるとか?

 ところでわたしは「いじましい」感じかと思っていたのですが、少しかすっているでしょうか?

 事務所で唯一の辞書をわき机に立てているのですが、先日puっちゃんが「ちょっと見せて下さい」と「ご母堂」と引いていました。お手紙を書いていて、ふと慶事と弔事どちらにも使っていいのか気になったって。そうなんですよね。いつもは適当に使ってる言葉も、正式に、特に文書にする時は、立ち止まってしまう時があります。この立ち止まりが大切なんでしょうね。思い込みで突っ走ると後で赤っ恥です。

 最近では、「こんな感じを表現するのにピッタリな用語を知っていたはずなのに、あーなんだったっけー」ということがよくあります。こんな時にはネットで類語検索などをしますが、脳みその劣化に愕然としますねー。身内自慢になりますが、父はなかなかボキャブラリーが豊富です。元文学青年だったこともあるでしょうが、ワープロなどを使って来なかったことも影響しているのかな?と思ったりします。編集が容易なだけに推敲が手抜きになり、次第に語彙が減る、ついでに漢字も忘れる、ってちょっと飛躍しすぎ、責任転嫁しすぎですね・・・

負け犬のひがみ

 昨晩、若年性認知症に罹った夫とその妻の二人三脚の闘病生活を紹介したテレビ番組を終わりがけだけ観たのですが、『家族の支え』みたいなタイトルがついていて、それを引き金に少し考え込んでしまいました。

 家族のいないわたしは認知症にもなれないの、と。

 よく、病気に打ち勝てたのは、困難を乗り切ったのは、家族がいたから!というトーンのテレビ番組がありますよね。何だかつい、家族の存在を見せびらかされているように観てしまうんですよね。家族礼賛は国家政策なんだろうとは思うのですが、現実は結構乖離が大きのでは?昔よりは非婚者離婚者が多いというだけで、マイノリティーには変わりないか・・・

 家族がいなくってもちゃんと人間関係を形成して、力強く生きて行こうと思ってんのに、シングル生活者はこの世に存在しないかのような、あるいは人生の落伍者であるかのようなトーンを見せられると拗ねちゃうよなぁ。これって、痛いところ突かれてるからこその過剰反応なのでしょうかね。

 もちろん家族の絆なんて存在しないと思ってるわけではないですし、家族に対する責任感が生きる力になる場合もあるでしょう。きちんと育ててくれた両親に感謝もしています。ただ、家族がないと生きづらいよ、と説教されてるみたいで。やっぱり僻みかなぁ・・・・

財産管理等委任契約のスタート

 5年前に、「見守り契約及び財産管理等委任契約」と「任意後見契約」と「死後事務委任契約」の締結に加えて、遺言でわたしを執行者に指定しているZさん。フルコースで、一人身の老いの準備をされました。これまでは、見守り契約の内容として年に数回の面会をしながら、老人ホームの入所や住居の明け渡しなどを側面から援助、まさに見守って助言するということをしてきましたが、昨年末にご本人が体力と気力の衰えを訴えられ、今月から財産管理等委任契約をスタートさせることになりました。

 財産管理等委任契約とは何か?任意後見契約とは違うのか?というと、任意後見契約は「任意後見契約に関する法律」に基づく契約であり、①公正証書によってしなければならない(3条)②任意後見監督人が選任された時から効力を生ずる(2条)などいくつかのルールが法律で規定されているのですが、財産管理等委任契約は「契約自由の原則」に基づいています。

 Zさんと結んだ財産等委任契約は、「ご本人が希望した時に効力を生じ」「任意後見契約が発効したら終了する」と期間を定め、「財産の保管や金融機関でのお金の出し入れ、介護契約など高齢者の生活に必要な法律行為を委任する」内容になっています。すなわち、任意後見契約は判断能力が衰えた時のための備えですが、財産管理等委任契約は、判断能力に衰えは見られない、認知症などは始まっていないけれど、お金の事やら介護契約などを自分で行うのは自信もないし億劫だ、という時のための備えなのです。そして、四捨五入すれば90歳!のZさんは時々体調を崩すこともあり、「全部先生に任せたいんです」と仰るに至ったわけです。

 つまり「ご本人の希望」が示されたわけで、これまでの見守り契約から財産管理等委任契約へ移行することになるのですが、見守り契約時代には年間で10万円程度の報酬でしたが、財産管理等委任契約になると毎月数万円の報酬が生じてきます。ここが大きな違いなので十分な説明が必要です。ご納得が得られれば通帳などをお預かりして、まずスタート時点での財産目録を作成することになっています。こうしたルールや手順は法律に規定がないので、契約書の中できちんと定めています。

 財産管理等委任契約は任意後見契約と違って、効力を生じても監督人が付かないので、受任者(わたしのことですね)に対するチェック機関はご本人だけ。ここに危険が潜んでおり、不祥事が起こりやすい土壌と言えます。従ってリーガルサポートでは、リーガルサポートへの事務報告を義務付けています。もちろん個人情報の開示につながるのでご本人の承諾が必要です。通常はその趣旨を説明の上、契約書の中で承諾をいただいています。

 また、リーガルサポートでは財産管理等委任契約だけを締結することは原則認めておらず、判断能力が衰えた時のための任意後見契約を併せて結ぶことになっています。財産管理等委任契約の場合は、先に書いたようにご本人のみがチェック機能であるにもかかわらず、そのご本人が判断能力が失われるとチェックもできなくなってしまいます。ですから、適正な権利擁護のためには、ご本人に判断能力の衰えが見えたら任意後見契約を発効させるべきという考え方なのです。現行法で考えれば、ご本人の判断能力が衰えたからといって、当然に財産管理等委任契約が終了するわけではないので、引き続き代理権を行使してお金を下ろしたりしても良いということになるのですが。

 Zさんについても、判断能力に衰えが見られるようになるまでは、そんな日は来ないかもしれないのですが、財産管理等委任契約に基づいて主にお金の管理をし、もしも物忘れがひどくなったりすれば、医師の診断書をもらって任意後見契約を発効させる予定です。それまでの間、事務の報告は、ご本人とリーガルサポートに行っていきます。今後は月に一度は訪問することになり、より一層Zさんに関わって行けるので楽しみです。

おめでとうございます

 本年もどうぞよろしくお願いします。

 なかなか寒くてお正月らしいお正月でしたね。3日に久しぶりに六甲へ登りましたが、上は雪が降っていました。木々に積もった雪は凍りかけていて樹氷と呼べそうで、ホワイトチョコのフランみたいでしたよ。

 今年は厳しい幕開けと受け止めていますが、何とか自分らしく打開していきたいものです。年末に、「遺留分って必要なのか?」と疑問を抱いたので、時間をかけて検討してみたいとも考えています。あとは、時間をもっと有効利用できる人間になりたいけど、この歳になって今さら無理でしょうか?

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