約束のいちご
Yさんとは一昨年に任意後見契約を結びました。身体が不自由で施設におられますが、身寄りがなく訪ねて来る方は一人もいません。ある時、少しでも慰めになればと「何か食べたい物はありませんか?」と聞くと、「ここではみずみずしい物が出ないから、例えばいちごが食べたいな」と仰いました。いつもは遠慮がちなYさんですが、とても具体的な希望でした。それで去年の今頃は、2,3回いちごやいよかんなどの果物を差し入れました。一度など、いちごを部屋で洗おうとしたら蛇口からお湯しか出なくて、施設中を駆け回って水が出る水栓を探し回ったものです。ヘタを持って、横になっておられる口元に持って行くと「おいしい」と喜ばれ、甘えるように「もう一つ」とねだられました。
昨年12月訪問をしようとすると、ノロウィルスが発生していて面会謝絶でした。致し方なく1月になってすぐにお訪ねすると、なぜか床ずれができ食欲も進まないとのこと。Yさんはいつものようにはきはきした口調で「何でこんなことになったんかな?親不孝したせいかな?」と嘆かれるのに、掛ける言葉が見つかりませんでした。励ますつもりで、帰り際に「今度またいちごを持って来ますね」と言うと、にっこりと頬を緩められました。10日ほど経って、今月は12月の分と2回訪問しよう、今度はいちごを買って行かなくちゃ、と考えていた矢先、施設から、栄養状態が悪く入院が必要との報せが入りました。入院手続に駆けつけたわたしに、Yさんは「入院は嫌や、部屋を片付けないままにして来た、入院したら車椅子押してくれる人がおらへん」と気掛かりを訴えられます。それを一つ一つ、わたしがちゃんと片付けますよ、車椅子押してくれる人頼んどきますよ、心配しないで下さい、そのためにわたしがいるんでしょ、と説得し、高ぶった気持ちを鎮めてもらいました。病室のベッドに落ち着いて夕食を摂るのを見守りながら、わたしは自然にYさんの人生に思いを馳せました。家族の愛情に恵まれなかったこと、こつこつと蓄えられたお金、旅行などを楽しむ前に倒れてしまったこと。物に囲まれて死にたいと買い集められた品々、いつまでも尽きない社会への関心。そして、身体がこんな状態になっても、身の回りのことを思い煩う様子に、「本当に立派ですね。何でも自分でちゃんとしようとなさって、見習わないとあきませんね」と声を掛けました。「今までずっとこうして来たから」がお返事でした。帰り支度を始めるわたしに、「あなたがいてどれだけ心強いか。巡り合えて感謝してます」と言って下さいました。後ろ髪を引かれる思いでした。でもその時は、まさかこれが最後に交わす言葉になるなんて想像できなかったのです。数時間後には意識がなくなり、目を覚まされぬまま亡くなってしまいました。
死後事務委任契約も締結していたので、今もその執務が続いています。棺には「約束のいちごです」と真っ赤ないちごを供えました。Yさんはわたしの仕事ぶりに満足してくださっているのでしょうか、気がかりです。