成年後見人が勿体無い?

 ご長女から頼まれて、お母さんの成年後見開始申立をするので、ご本人を特別養護老人ホームにお訪ねしました。

 ご本人は100歳、申立てする娘さんも70歳代。母が、今のわたしの年齢で亡くなってしまった我が身にとっては、二人が互いを気遣い合う様は妬ましいほど。そう、100歳のご本人は、車いすではありますが、耳はしっかり聴こえて、発語も明瞭。「ごはん、食べたんかな~?と思って聞いたら、食べましたよって言われる」とコロコロ笑ってはりました。

 仲の良い娘がすぐ近くに居るのに、成年後見制度を使う必要があるのかな、と思うのですが、定期預金を解約しないと特養の費用を支払えないそうで、銀行はご本人が認知症なので応じてくれないらしいのです。ご長女は事務仕事が苦手で、自分で後見人になるつもりはなく、わたしを候補者にして申立てることになっているのですが、何とも勿体なく感じてしまいます。

 成年後見制度は、判断能力が不十分な人が、社会の中で権利を主張してあるいは脅かされずに生きていくための仕組みであり、何か具体的な課題が眼前にあるかないかは関係なく使うべき制度である、という考え方があります。

 まぁ、それに越したことはないでしょうが、認知症高齢者が600万人などと言われてるのに、それって現実的なのでしょうか?担い手の供給、監督機関としての家裁の事務量。その窮状を見るに、必要がある場面でだけ利用できる制度に転換した方がよいと思うのですが。現に、成年後見の領域で発言力のある同業者たちも、自分の親には、認知症の気配が見えても制度利用をしなかったと自白しています。

 国民の1割近くが利用しなくてはならないのなら、もっとカジュアルな立て付けにしないと、制度が空中分解しそうな気がします。

 先の事案も、定期預金解約が終わっても、成年後見人が必要なのか、甚だ疑問。いや、定期預金解約なんて判断の入る余地はなく、ただの手続きだしなぁ。特養利用料の自動振替手続きは、既に長女が済まされていますしね。

 誤解のないようにお願いしたいのですが、親族がいない事案では、後見人であるわたしが、とってもご本人の役に立っていると自負している事案はいくつもあります。

漢字忘れ

心身とも元気に新しい年を迎えることができました。マスクが手離せず気分ハレバレとはいきませんが、それでも、良い一年にできるよう、特に「克己心」を忘れずに、と心密かに誓っています(笑)

今年もよろしくお願いします。

直筆で文字を書くことなど、ほとんどなくなって久しいです。が、新しくどなたかの成年後見人に選ばれて、銀行にその届け出に行くと、必ず文字を書く必要に迫られます。それも、他人の名前と住所を書くので、漢字を確認しながら記入しないと間違えそう。窓口の担当者(大抵は若い女性)が見つめているので、冷や冷やします。

今日も初仕事で銀行に行ったのですが、「あれっ?ここ横線三本だっけ?」とか「上にも点々いるんだっけ(「並」のこと)?」とか、首を捻りながら、漢字を忘れた自分が情けなくなりました・・・ これってデジタル化のネガティブな側面ですよね。

一昨年、10数年ぶりに車の運転を再開しました。以前は標準装備ではなかったカーナビに頼り切っています。昭和の終わり、どうやって土地見に行っていたの?と自分で不思議でなりません(会社員時代、マンションデベロッパーで用地購入の部署にいたので、大阪府下のマンション建設候補地を車で見て回っていました)。デジタル化は進化?それとも退化?と思ってしまいますが、でもまぁ、そんなこと考えてみても、流れに抗っては生きていけないので、デジタル化で楽になった分、何か頭を使うことを意識的にやらなくっちゃね、と己を戒めます。

文章を書くことは、間違いなく頭を使うので、ブログをまめに更新できれば何よりなのですが・・・

ついに・・・

 直接知っている人が、コロナに感染してしまいました。これまでは、友人の知人とか、同業者の被後見人とか、間接的な情報にしか接していなかったのですが。ご家族から知らされて、この感染症に対する恐怖をリアルに感じました。

 幸いにも、この大阪の病床状況でも入院先が見つかったようなので、「心配し過ぎないで」とご家族に声を掛けました。

 これからどうなるのか。預言者の存在を信じるわけでもないので、誰にも分らないのは当然のことと思っていますが、そう悟りを開いても不安なことには変わりありません。不安を体の中で温めず、プスプスと漏らした方がいいですよね、くらいしか、わたしには言えません。

便通改善

 「便通改善」という、あまりに直截な名前のヨーグルト(ドリンク)をご存知でしょうか。効能が商品名。なんて頼もしいのでしょう。こんな堂々とした、裏表のない人を(人じゃないけど(^^;)を疑ったりしては、こちらが恥ずかしい。わたしのニーズにピッタリなので、スーパーで出会うと購入することにしています。それも、置いてある分全部‼ 消費期限が短いので、買いだめには向きませんが、最大11本買って帰ったことがあります。

 先日、たまに行くスーパーの棚に「便通改善」のプレートを見つけたので、わぁ久しぶりに出会えた、今日もいただきましょう、と思ったら、なんときれいに空っぽ。わたし同様に、見つけたら買い占めてる人がいるんだわ、と想像して、思わず声を出して笑っちゃいました。もちろんマスクの下で。

 リピートしているのは「看板に偽りなし」だからです。お困りの方は試してみる価値ありですが、なかなか出会えません。

   枝豆と テレビにソファー 一人飲み

後見人の報酬問題考

「なぜ家族じゃない人が」報酬払うため減る財産 成年後見制度の課題

というインパクトの強いネット記事に出会いました。しばらく前のことです。残念ながら、会員限定の記事で中身は読めなかったのですが、私たちのような専門職後見人の報酬については、以前から問題視する意見があるので、似たような内容かなと推測しました。

 よくあるのが、「滅多に会いに来もせず、あれはダメ、これはダメと権限を振りかざし、ちょこちょこと書類を作成して、年間数十万円の報酬を取っている」という非難です。

 例えば、月額15万円の年金を受給しているとして、後見人報酬が月額3万円であれば、高いと思われる気持ちはとてもよく分かります。収入の2割も占めるのですから。そして、わたしの経験で言えば、預貯金が2000万円くらいあれば、月3万円、年額で36万円の後見人報酬というのは十分あり得る金額です。

 こうした後見人報酬は、介護サービス利用料や医療費と比べると高額な印象は否めないと思います。しかし、介護サービスは介護保険、医療費は健康保険があるので、サービス利用者は受けたサービスに要した費用を全額支払っているわけではありません。あくまでも自己負担割合による、自己負担額を支払っているのであって、サービス提供者は、その10倍(1割負担の場合)とか5倍(2割負担の場合)を受け取っています。その面から見ていただけば、決して、後見人報酬が高すぎるわけではないことをご理解いただけるのでは、と思っています。

 後見人の事務は、ご本人と接点を持つ場面にだけ存在するのではなく、舞台裏で、様々な書類を管理したり(連休明けは、郵便物の整理だけで多くの時間を要する、というのは、多くの後見人仲間の一致した意見です)、他の支援者と情報や意見の交換をしたり、また自身の事務の記録を残したりしており、率直に言って、多額の報酬をいただき過ぎている、とは全く感じていないのです。また、専門職がスタンバイしていることでの安心感にも価値を認めていただきたいと思っています。

 結局のところは、後見人報酬を全額本人が負担する現在の仕組みのままでは、成年後見制度の利用促進は図れないのではないかと考えています。成年後見制度利用支援事業という事業があり、後見人の報酬を公的に助成する仕組みはあるにはあるのですが、市町村によってその内容には大きな差がありますし、この事業はあくまでも、ご本人が後見人の報酬を負担できない場合に限るので、十分な財産がある場合には助成されません。保険制度を構築して、後見人報酬を保険で賄うとご本人負担はグッと下げることができるはず。でも、そうなると利用が促進され過ぎて、すぐに保険が破綻するのかも知れませんね。

 ともかく「大したことをしていないのに高額報酬を取って行く専門職後見人」というレッテルに対して、誤解を解きたいと切実に思っています。

大活字本とは???

 特養入所中の男性に「大活字本」を届けたと前回書きましたが、「大活字本」ってご存知でしたでしょうか。

 ご本人を訪問して日中の過ごし方など四方山話をしていたら、ヒマな時は本を読むのが好き、小さな字は読めないから施設の本棚にある、字の大きな本を読んでるけど、数が少ないから同じのを何度も読んでる、と仰るのです。わたしは元来の遠視で近くを見るのが苦手なので、気持ちがわかるなー、と思い、同じ文庫本でもフォントサイズも行間も違うし、どの程度なら読めるのかなぁ?と思って、「いっつも読んでる本を見せてもらえませんか」とお尋ねしたのです。で、持ってこられたのが「大活字本」!ちょっと大きめの字、なんてものじゃなく、完璧に大きいのです。20ポイントくらいありそうでした。当然、紙幅も必要だから、分冊になっています。この世にこんな本があったのか!と驚きました。これなら読めるというのは、とっても納得。普通の本屋にはなかなか売ってないだろうし取り寄せるしかない、と思いました。

 年金収入のみで生活されていますが少し余裕があるので、そのお金から「大活字本」を買って届けたら、その都度とても喜んでくださいます。お会いできない今は、どうしてもお礼が言いたいと、特養の職員が電話を掛けてきて代わってくれるのです。その声に、役に立ててるなー、と喜ぶわたしは、単純ですね(笑)

被後見人の手紙

 コロナ禍で本人に会いに行けないことが続くので、時々、ハガキを出しています。昔から買い集めた絵ハガキが沢山あるので、それを使って。もちろん、自宅暮らしで電話に出られる方とは電話でお話していますが。

 先日、特別養護老人ホームの相談員から電話がありました。わたしが成年後見人を務める認知症高齢者の男性入所者が、お姉さんに手紙を書きたいと言っている、よいか?という問い合わせでした。ご本人と電話を替わってもらったところ、長い間会っていないお姉さんだが、お互いいい年になったので、様子を知らせておきたいということでした。わたしに否やがあるはずもなく、相談員に手紙を出すのを手伝っていただくようお願いをしました。

 数日して、再び相談員から電話があり、仰ることには、お姉さん宛の手紙の中に、わたしから届いたハガキの一枚を同封したいとご本人が言っている、よいか?と。何のためにでしょう?と尋ねると、「この人にお世話になってるから、安心して」ということらしい、とのことでした。

 年老いて、独りぼっちで、長く喋っていないお姉さんを思い出して、連絡を取ってみたいという気持ちは容易に想像がつきますし、それを思うと切なくなります。そして、そんな大事な手紙に、わたしからのハガキを同封したいと思ってもらえて、誇らしく思えました。それほど長いお付き合いではありませんが、十分にコミュニケーションが取れる方で、暇を持て余しておられるので大活字本を届けたりしてきました。

 この数年「意思決定支援をしよう」の声が喧しいですが、大層な場面だけでなく、日頃の接点で気持ちが通じ合うような支援をすることも、もっと奨励すればいいのになと見ています。日常的にご本人の気持ちを慮っていれば、大層な場面でも、後見人が勝手に物事を進めていくことはないと思っていて。上の例は、ちょっと手前味噌ですし、いつもそう上手く行っているわけではないんですが。

遺留分侵害額請求

 業務で遺留分侵害額請求に関わるので、改めて改正相続法を勉強しています。

 もちろん、自筆証書遺言の要式緩和や遺言執行者の権限については解説本に目を通していたのですが、「遺留分が侵害された」と言って請求する事案に当たることはあまり考えておらず、遺留分そのものの規定に変更はないわけなので、細かいところは正直手が回っていませんでした。

 で、ただ今役に立ってくれている書籍が「Q&Aでマスターする 相続法改正と司法書士実務 重要条文ポイント解説162問」です。旧規定と比較しながら、法制審議会での議論にも触れながら、改正法の趣旨を説明してくれていて、納得しながら読み進めることができます。

 この立派な書籍は、東京司法書士会内の民法改正対策委員会という部署で作成されているようで、同業者ながら、凄いな、さすが東京だなと感心してしまいました。じっくり時間をかけて注力しないと、このような綿密な内容を構成することは困難だと思いました。あれやこれや、と手を出しながら中途半端に終わっている我が身を振り返り、赤面の思いです。執筆者は、司法書士登録10年前後の方が中心。ロートルは、お若い方々に導いていってもらうのが良さそうです。

気の早い入梅

 近畿が梅雨入りしたそうです。「始まるのが早くて、終わるのは例年通りやったら嫌やね」と、事務所内でミセス家計簿と話していたら、さっきラジオでそんなことを言ってました。

 雨だと外に出たくなくなるから、活動自粛が求められる現状にとってはプラスに働くことになるのかも知れませんが、鬱陶しさが倍加しそう。心を健全に保つために、何をしたらいいんでしょうか。

 時間があると、ついつい没頭できる、テレビドラマ(海外物をWOWOWやAmazonプライムで)を見てしまいます。でも、ふと気づくと、時間を無為に費消してしまったようで自己嫌悪にも陥るし・・・

 今朝の「あさイチ」で脳のお医者さんが、ボーっとしている間に脳は回復しているので、ボーっとする時間は無駄ではない、ということを話しておられましたが、テレビドラマに没頭している時間も、現実から目を逸らして心から毒素を排出する役割がある、とかなんとか言ってくれないでしょうかね(^^♪

 因みに、この週末に一生懸命観たのは「シカゴファイア」です。「シカゴメッド」から流れ着きました。両方を観て思うことは、シカゴは、暮らすにはなかなかハードな街だということです。暴力沙汰がやたらと多そう。しかし、NHKでやってた「やっぱりおしい刑事」は、東京郊外の警察署が舞台のようだったけど、毎週殺人事件が起こっていたなぁ、そんなことあり得ないのに。ということは、やはりドラマはドラマということかしら?

 何度も繰り返し見ているドラマは「グッドワイフ」と「ダウントンアビー」ですが、前者はやはりシカゴの話。ドラマになりやすいんでしょうか。ともかく、どちらも物語があって、キャラクター設定もしっかりしていて見ごたえあると思います。「グッドワイフ」のダイアン・ロックハートをロールモデルにしている、ということは以前にも書いたと思いますが、なかなかそうは問屋が卸しません(^^;

「不快」とは・・・

 今日は一足早い初夏の気温でしたが、明日からドンヨリ、じめじめになりそうです・・・

 特別養護老人ホームに入所中の女性が、原因不明の微熱が続いて(もちろんPCR検査はしてます)入院されたのですが、そのうちに食欲もなくなり、結果生気も失われ、入院から2か月後には、主治医から、療養型病床への転院を進められてしまいました。施設にいた時は、あんなにスタスタと歩いて、ハキハキと喋ることができていたのに、とショックでしたが、今後の方針を話し合うカンファレンスで、特養の看護師が、最悪看取りになったとしても戻ってきてもらいたいという姿勢を見せてくれて、そうしたらどうしたことか、その3週間後にはご本人の食欲が戻り微熱もなくなったと報告がありました。

 「〇〇さん、お元気なんですよね」と尋ねると、若い看護師は、思わず「フェッ」と小さな笑いを漏らして「お元気ですよ」と答えてくれました。多分、その小さな笑いは出すべきではなく、「笑うとは失礼な!」と叱られてもしょうがないように思いました。が、わたしは、退院して特養に戻れることになったのでとても機嫌が良かったし、元気なご本人が病棟の看護師の手を焼かせている様も想像できたので、「笑っちゃうくらい、お元気ですか」と、小さな釘を刺すに止めました。小さすぎて釘とは気づかないかも知れませんが。

 他者に不快感を与えてしまうことってあります。自分はそれでは不快にはならないけどな、という場合もあれば、思慮が浅かったり咄嗟のことでうっかりしてしまう場合もあります。ただ、不快な言動への抗議に、不快な言動で対してしまうと、不快が雪だるま式に大きくなってしまいそうです。

 わたしは、タバコの煙がめっちゃ嫌いです。幼児の頃、ハイライトを吸う父に、ほっぺにほっぺをスリスリされていましたが・・・道端でタバコの煙をくゆらせている人の横を通り過ぎるとき、手で扇ぐ仕草をしてしまう時があります。このご時世、大阪市中央区の(要は人通りの多い)公道でタバコを吸うのは、やっぱり時代錯誤の不快な行動のようには思うんですよね。でも、それに対して、嫌みったらしい動作をするわたしも、別の不快な行動をしていますよね・・・

 「不寛容」という言葉を最近よく見かけますが、「人が!」ではなくて、「自分も?」と省みなくてはいけないなと、つくづく思います。こんなストレスが多い状況で、どれだけ心の余裕を持てるかが、人間としての力なのでしょう。

 とにもかくにも、療養型病院へ行かずに済んだことは万々歳です。やはり病院は生活する場所ではないので、できるだけ避けたいです。それが、ご本人の希望でもありました。お元気な時に、念のため、医療についての思いを聞いておくことは、やはり助けになります。

 

初夏の陽気

マスク越し 若葉のいぶき ひとり吸う

播磨灘を眺めて

肩ならべ 来し方おもう 春の凪

さようなら令和2年度

年度が替わります。令和2年度は、何が何やら分からないまま過ぎていった日々だった気がします。

先般、定時株主総会の議事録などを届けてくださった、コンサルタント会社の法務ご担当によれば、コンサルタントの形も変化してきたそうで、それはコロナの流行が収まったとしても継続して定着するのだろうということでした。例えば、講習会を集合ではなくリモートで開催することで、遠方からでも負担少なく参加できるようになり、顧客から喜ばれ参加者も増えたとか。

今夕、三士会(リーガルサポート、弁護士会、社会福祉士会)の打ち合わせがあり、大阪府下の市民後見人養成事業について意見の擦り合わせをしました。近年、市民後見人を志す方が減少傾向にあることへの対策が必要だという問題意識を共有したのですが、その解決の手段の一つがリモートによる養成講座かも知れません。講座を受けたくても時間の都合がつかない人が、自宅でwebでなら受けられる、っていうことは結構あるかも。怪我の功名ですかね。

転んでもただでは起きない、そんな令和3年度にしようと決意しました!

カタルシス?

一昨日は「俺の家の話」で号泣したことでカタルシスを得られた気がします(笑) その昔、郷ひろみに「若さのカタルシス」という曲がありましたねぇ。昔も今も、意味がよく分かっているわけでもないけど、ちょっと使ってみたい言葉です。

先日、生活保護に関する研修を受けました。耐久消費財の買い替え費用は生活扶助に含まれているので、備えて貯めておかなくてはならないとの説明でした。なるほど、あまり深く考えたことがありませんでしたが、そうなんでしょう。

生活保護を受けている精神障害の女性の保佐人をしているのですが、保護費は自分のお金だから好きなように使って当然、と言って、毎月すっからかんになるまでお金を渡せと求めてこられます。保佐開始申立の動機が金銭管理ができない、なのも納得ですが、さぁここで「意思決定支援」との折り合いをどうつけたらよいのでしょう。教えて欲しいです。少しは、急な物入りのために蓄えておきたいというのは、支援者のエゴなんですかねぇ。それとも、少しの蓄えは最低限の生活環境の整備であって、そんな整備は必要ないという本人の意思は無視してもいいんでしょうかね。あるいは本人との話し合いを深めれば、最低限の生活環境の整備の必要性を本人と支援者で共有できるはずであって、その努力が足りていないのでしょうか。

たかがドラマ、されどドラマ

「俺の家の話」泣かざるを得ない・・・・

なんで寿一が死ぬの!

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